本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
Posted by ↑野

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読書は贅沢な思想の旅、賢者との同居

読書とは本当に贅沢な思想の旅であり、人の人生をこれほど豊かにする行為も無いのではないかという風に考えています。

そもそも読書とは、当たり前のことながら、様々な分野で活躍する人の「一番伝えたい事」を簡単に拝読することが出来る手段だと言えるわけです。
何故なら、「本を書く」ということは、何か明確な伝えるべき・主張すべき著者の重要事に的を絞った内容になるのが普通であって、居酒屋でダラダラと纏まりのない話を聞かされるのとは根本的に異なる。
一人の人から一つ、若しくは若干数の命題に絞った論を数百ページもの分量に亘って聞き続けるという機会は、読書以外には講演会か講義ぐらいしかないと思います。
それを、双方向性には欠けるものの、時と場所を選ばず、好きな箇所を読めてしまうのが読書の利点。

さらに読書は、自分がそのまま普通に過ごしていれば絶対に触れることのない世界に触れることが出来る手段としても意味があると言えます。
例えば、書店や図書館の新書や文庫のコーナーに行ってみれば、恐ろしい程に膨大な量の図書があり、それぞれ全然違ったテーマを、異なる著者たちが綴っている。
だからこそ、良書を選ぶのが難しくもあるのですが、これらをザッと見渡すだけで、自分が少しでも興味が湧く分野が簡単に見つかりますし、簡単に手にも入ります。
書店で古代ローマ思想に関する本を手に取り、興味を見出した人は、そもそも書店や本がなければ、恐らく古代ローマ思想と全く関係のない一生を送っていたと思います。
そういった「興味関心との出会いの場」としての読書は素晴らしい意義を持った行為であると言わざるを得ません。

更なる読書の利点としては、「時間を超越できる」ということだと言えます。
アリストテレスであれ、ニーチェであれ、福沢諭吉であれ、当たり前ですけれども、実際に会って話を聞くことはもう不可能ですからね。
そんな彼らが当時、本にしてまで一番主張したかったことを、現代の僕らが書店や図書館で簡単に聞けてしまうわけですからね。
人類が生み出した文明の中でも文字というものは最高傑作だと言われていますが、本当にその通りではないでしょうか。
自宅にたくさんの本を持つ人は、多くの著者と同居しているようなもの。
いつでも聞きたい時に、会いたい人と会って話が出来るようなもの、有益でないはずがない。

ショーペンハウエルが著書の中で言ったように、読書のみに耽って他人の主張のコピー機となったり、実践・経験を軽視したり、自分の頭で考える機会を失う結果とならないように配慮する必要はありますが、物事を批評するにも最低限の知識と、他者のものの考え方の例を見て考察するという経験が必要になる。
例えば、経済学を教養レベルでさえ全く学んだことがなく、GDPや消費者物価指数の意味も分からず、人が経済について語っている書を見たり、映像で聞いたりしたこともない人が、果たして国家の経済政策について的確な批判が出来るのか、自分自身で考えつくことが出来るのかと言えば、難しいものがあるはず。
「斬新な芸術は模倣から始まる」ともよく言われるように、何か足がかりがなければ我々は何についても語り得ないし、考え得ない。
その足がかりを創り出すのが、知識を習得することと、他者の論を聴くこと、それらを基に考えることと言える。

そのため読書とは、単なる知識の習得のみのためならず、自分で考え、意見を持つための材料として使う必要がある。
僕の個人的な経験から言うと、本当の意味での読書家の一番長けているところは、知識の多さではなく、思考の柔軟性や正確さ、そして「人生とは」みたいな抽象的で答えが定まらない事柄に対する強固な意見・思想を持っていることから来る知能的安定感だと思う。
多くの論について見て考えて来たからにこそ生まれる、思考の安定性・応用力の高さみたいなものがあって、初見の問題や論題に関しても結構正確に対応できる人が多いと思う。

僕自身はまだまだ未熟にもほどがあるので、実体験として説得的には言えませんが、僕の見て来た、関わって来た賢い人たちはそういうところがずば抜けているなと感じました。

さらに、古代から現代に至るまでの偉人たちが残した言葉を見ると、精神的成熟=内的高尚性=徳を得るための手段としては、人との交流だとか、倫理を高く保ち続ける意識だとかが重要であると同時に、それらと並んで、書物を通した知識の習得と観照の多さが重要であるとする結論が多いと思う。
つまり、人と交流し、様々な経験を積むことが重要なのは言うまでもなく、それらと同じくらい、読書と思索が重要だということ。
机上も実経験も、どちらも否定されるべきでも、軽視されるべきでもないと。

まあ何れにせよ、読み方や選ぶ本に気をつけなければいけないとしても、総じて読書はほとんどの人にとって有益で、人によっては人生をも変え得る意義深い行為なのだと思います。

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