本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
Posted by ↑野

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by ↑野   0 comments   0 trackback

想定外への寛容性と一回性への慈しみ

この頃「想定外への寛容性」が重要なのではないのかなと考えています。
これは可能性への柔軟性とも言い換えられますが、普段の日常の中であれ、もう少し長い目で見て人生であれ、想定外な出来事は不可避的で当たり前のものでありますが、その割にはそれに対する寛容性(あるいは諦念の情)が、自分自身も含めて、余り見られないような気がします。

偶有性であれ偶然性であれ不確定性であれ、言い方はどうあれ、内容が自分にとって喜ばしいことであれ、悲劇的であれ、慈しむ余裕は大切なのではないかなと思いました。

面白いなと思うのは、偶然性を当然視することは、その偶然が起こった時にそれが厳密な意味での偶然ではなくなるのではないのかということ。
「偶然」とは、事前には予期し得ないあるいは起こらないこともありえた出来事のことですが、それがいつ何時起こったとしても別におかしくはないよね、だって人生偶然に満ち溢れてるもん、と考えている限りにおいては、それって偶然を必然視しているのではないかと、その時点でその人にとっての如何なる想定外の出来事は、ある意味想定内なのではないのかと。

まあ、それは置いておいても、人生、些末な事から一大事まで様々な事が起きるわけですけれども、想定外は想定内には無い魅力があり、これを愛することができればいろんな効用がありそうな気がしています。
一つは、いつ何が起こるのだろうかと恐怖し続けなくてもよいことから来る精神的安定感という単純なこと、二つは、人生を構成するものを愛するわけだから、人生をより肯定することになるため、とか思っているのですが、これは正直直感であって、正否は分りかねています。

さらに確証の無いことですが、想定外への寛容は「異質性への寛容」に繋がるのではないかなとも思っています。
何しろ「異質なもの」と「想定外なもの」はもちろん同義ではないものの、全く関係のないものでもないと考えるからです。
いつ何が起こってもおかしくないよね、それが人生だものね、とある人が考えることと、異質なものが存在してもいいよね、自分たちと違った人や文化があってもいいよね、だってそれが人間で、そいつらが作った社会だもの、と考えることに、価値観の柔軟性という点での共通性はあるはずだと。

逆に想定外、異質性への寛容性・柔軟性を欠いていては、自己と自分の人生の可能性・多様性を狭め、自分にも他人にも不利益しかもたらさないのではないかと思います。


それともう一つ、「一回性への慈しみ」ということも重要であると思います。
一期一会という言葉が代表的ですけれども、厳密に言えばほとんどの事柄は一度きりなわけですよね、昨日の自分と今日の自分が寸分違わぬ人間ではないことを考えても、毎日する食事さえ、同じ料理であれ、微妙に違い、故に一回性のものであるわけです。

そこまで厳密な意味ではないにしても、一回限りの出来事は人生に溢れており、また、溢れてはいるものの、一事一事はたった一度きりのものであり、それらを愛することとは、人生を注意深く吟味するということでもあり、上記の想定外の事と同じく、それが人生を愛することに繋がり、一回性への感謝が生への肯定になるのではないかと。


そんなわけで、どのような内容であれ、想定外の出来事に寛容であり、一回性の出来事を慈しむことは、人生を愛し、豊かにする態度ではないかと思います。

ただの勘違いかもしれないけれどね。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。