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本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
Posted by ↑野

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知識人とは何か

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
(1998/03)
エドワード・W. サイード

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2009年の9月に読みました。
本書を手に取ったきっかけとしては単に知識人と言う言葉を聞きこそすれど、そう言えばその確たる定義など知りもしないなという好奇心からでした。

それまで個人的には「知識人」とは単なる豊富な知識や優れた思考力の保持者、いわゆる知的エリートぐらいにしか考えていませんでしたが、本書を読み終えた後ではその考えが如何に浅はかであったかを思い知ることとなりました。


○アントニオ・グラムシによれば知識人とは概ね二つのタイプに分けられる。一つは、教師や聖職者や行政管理といった伝統的知識人であり、こうした人々は何世代にも渡って同じ仕事を引き継いでいる。一方は、有機的知識人であり、彼らは知識人を利用して利害を組織化し権力を手に入れ配権の拡張を計る階級なり運動と結びつく。また、一つの所に留まり同じ種類の仕事を続けることは少ない。

これと対極をなすのがジュリアン・バンダの知識人論である。彼の定義によると、知識人は類まれなる才能に恵まれ、道徳的にも卓越し人類の良心ともいう言うべき哲人王たちで彼らは小規模集団を形成する。さらに形而上物を愛し、強烈な個性を有し常に異議申し立をしていなければならない。

個人的には知識人とはジュリアン・バンダの唱えるような人々であって欲しいものです。
知識や行動力に優れているだけでなく、それらを良き方向へと導く卓越した道徳・良心をも持ち合わせていれば、様々な諸問題に対する解決を群衆の最先端にて担うことになるでしょうし、それゆえ彼らが社会にとって貴重な存在であるということは間違いないと思うからです。



○(筆者の考えでは)知識人とはあくまでも社会の中で特殊な公的役割を担う個人単なる専門家ではない。知識人は、「公衆に向けて、もしくは公衆になり変わってメッセージなり思想なり、姿勢なり、哲学なり、意見なりを代弁(=表象)したり肉付けしたり明晰に言語化できる能力に恵まれた個人」である。=代弁する(代表的)人物としての知識人

大衆をその豊富な知識と行動力と道徳によって啓蒙することまでしてこそ真の知識人であると筆者は考えています。
あくまでも知識人とは一般大衆を教え導くか、若しくは大衆の為に上にメッセージを放つということです。

やはりそうであって欲しいものですね。
現代ではこの役割を果たしているのは一体誰でしょうかね。



○大衆芸術や大衆思考はますます政治的要求に連結されるようになった。だからこそ政治の世界では知識人の連帯と努力が優先されなければならない。知識人と言えど大衆向け政治的表象に引きずられはするが、そうした力に対抗することもできる。知識人の使命とは常に努力すること、それも、どこまでいっても限りのない、またいつまでも不完全なものとならざるを得ない努力を続けること。

確かに現代ではかつての時代よりも、メディアなどを通じた一般庶民の衆愚性の促進や心理的コントロールなども目立つという論は数多く見られます。
もしそれが真実であるとするならば、このような現代社会においてはますます優れた道徳心を持ち合わせた上記のようなリーダーと成り得る人物が必要であると言えます。

しかし知識人の使命は努力の継続であり、そしてそれは限りなく完成もしないものとは。
何だかこの辺を見ると知識人には相当の覚悟と孤独に耐える素質が必要なのではないでしょうか。
時には大衆にどれほど声高に叫び続けても聞く耳を持ってはもらえないどころか、変人扱いすら受けることもあるでしょう。



○知識人はまた教養人とも呼ばれ、民族の最良の自我とか民族の最良の思想なるものを言語化し表象することでそれらを民族文化とするための役割をも担った。

民族文化の立役者でもあると。
平たく言うと仲間のまとめ役に近いことでも活躍してきたということでしょうか。



○勝利者と敗残者、国家と個人、強者と弱者、どちらに付くべきか常に選択の場にいるのが知識人。ただし、国家や支配権力に忠誠するような者であってはならない。

全くもって同意ですね。
知識人とはやはりどちらの立場の側に付くかを選べる立場にいてもなお、弱者の味方でいるべきでしょう。



○ある場所で起きたある民族や国家の苦難や危機を普遍的であり人類全体に関わるものと見なし、他の苦難の経験と結びつけることも知識人の重要な活動。これにより、ある場所で学ばれた教訓が別の場所や違う時代でも忘れ去られるのを防ぐことにも繋がる。

僕は歴史学専攻ではありませんが、歴史を学ぶ意義と言うのは本来ここで知識人の役割の一つとされている「同じ過ちを起こさぬため、過去の教訓を現代に」というものではないでしょうか。

歴史を学び、そこからある種の普遍的な法則性のようなものを見出すことによって、それを現代の政治・経済・社会の様々な問題を未然に防ぐ、もしくは解決するというこの試みは人類の将来にとって誠に有益なものと言えるでしょう。



○まとめ
知識人とは権威にひれ伏すことなく世俗の枠の外で知的解放・啓蒙活動を行うべき存在である。時に権力や自分の慣れ親しむものにさえも客観的に自分の論、事実を声高に主張出来なければならない。


正直この言い方が適切かどうかは分かりませんが、ある種の正義の味方的存在というのが著者の考える知識人と言う人物たちだそうです。

そして僕もそうであって欲しいと願います。
ご存知のように現代の社会には政治から経済から社会構造まで様々な人為的と言わざるを得ないような問題が噴出しています。

このような社会において一番大切なことは我々一般の民衆がまずは問題に気付かなければいけない。
さらにそこからどのようにして問題を解決しなければいけないかをみんなで考えることだと思います。

そして著者の言う知識人のような存在は、最も大切な「我々一人ひとりがまず問題を知る」ことを促進する役割を果たしてくれると期待できます。

まずは問題について多くの人々が知らなければそこに議論さえも生まれ得ず、群衆の叡智もまた起こり得ない。
だとするならば国家の一方的支配とかそんな大袈裟な問題ではなくとも、処々の問題を解決するための糸口は彼らという存在なのかもしれません。

現代社会においてもこのような存在はすでに存在しているはずです。
それはどこかの教授や学者・専門家かもしれませんし、企業人かもしれません。

しかし昔と違って現代にはネットなどの新しい情報網が確立されているということを考慮すれば、今の社会においては我々一般市民も著者の言う知識人的存在になることが可能なのではないでしょうか。

僕のようなものがその方法について語るのはおこがましい限りですが、自身が著者の言う知識人的存在となるには、各種メディアに深入りせず、様々な体験と著書などから真実を知り、他者を真摯に想う道徳心を携え、人と社会のために自身の知識と思考力を生かして身近な情報ツールから活動を始めることではないでしょうか。

目指せ!一億総知識人化!!

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