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本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
Posted by ↑野

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知性の磨き方


知性の磨きかた (PHP新書)知性の磨きかた (PHP新書)
(1996/11/05)
林 望

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(著者略歴)
1949年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、同大学院博士課程修了。日本書誌学・近世国文学専攻。ケンブリッジ大学客員教授、東京芸術大学助教授等を歴任。

(目次)

学問の愉しみ

第一講 知性とはそもそも何であるか
第二講 学問において最も大切なこと
第三講 財産としての時間をどう使うか
第四講 良い先生はいかに教えるか
第五講 良き研究者と良き教育者
第六講 『学問のすすめ』を読み直す
第七講 本居宣長先生の学問論

読書の幸福

第八講 「良い読書」という幻想
第九講 「奔放な読書」のすすめ
第十講 本は買って読む、寝転んで読む
第十一講 書店の役割を考える
第十二講 本はすすんで汚すべし
第十三講 「現代人の活字離れ」のウソ
第十四講 本を書く側からの発言

遊びは創造

第十五講 何もしないことの楽しさ
第十六講 渾然一体となるオンとオフ
第十七講 面白い仕事、つまらない仕事
第十八講 精神の遊びと個人主義
第十九講 人生の楽しみをどう見つけるか
第二十講 結びに代えて

本書は林望さんが大きく三つのテーマについて語るものです。詳しくは目次を。

感想から述べると、自分とかなり共通点をもつ方で、終始賛同できる論を展開していらっしゃったという印象です

・学問とは分析的なものの見方、そしてその方法を得るためのものであって、物知りということとは違い、人生の中でのあらゆることに汎用性を持つ術を習得できるものでもある。故に、学問において最も大切なのはその「方法を学ぶ」ということである。カルチャーセンターなどの、知識の一方的な習得は本来の学問とは違い、学問とは、教える側の力は必要最低限で、学ぶ者が自分の力で方法に沿って考え、結果を出すことである。そのため、大学等における良き教育者とは、学問の正しい方法を学生に教え、学生が誤った方向に行かぬよう最低限の指導をするだけに留め、自分たちの力で学問をさせるような者でなくてはならない。それに比べれば知識などは片々たるもの。

※確かに、知識の習得だけが必要であれば何も授業料を払い大学に行く必要はほとんどなく、図書館で学術書等を借りて懸命に勉強すれば事足りますね。そういった意味でも教授とは本来、学生の自主性を尊重した最低限のインストラクターであるべきなのかもしれません。


・大学とは時間をお金で買って過ごすモラトリアムの場であり、必ずしも学業に懸命に励む必要はない。ただ、その自由をしっかりと認識して、勉強なり、女性の尻を追っかけるなり、遊びまくるなりすればいい。ただし、自分のそれ以降の人生における大切な物の何か「判断基準」のようなものを持てるように過ごすべきである。趣味などに没頭する場合には、所詮趣味程度だから…、と言わずにプロを目指せるように真剣に没頭するべきである。

・読書がとにかく万人にとって良いとする論調も少なくはないが、読書とは必ずしも人格形成、人生の充実に貢献するとは限らない。大切なのは「その人にとっての意味」であり、「内的動機」の有無である。その人が何かしら人生において疑問を抱いたり、知りたいと切実に願い、古今東西・時代を超えて何か少しでもその解を得たいという動機があって初めて読書というものが意味を為す。それ故に、名著と呼ばれる本を読めだとか、最近の若者は本を読まないとはこれけしからんといった論は甚だ見当違いである。逆にそういったモチベーション無きところでいくら名著と呼ばれる類の本を読んだところで、身にもならず、時間の浪費に終わるであろう。そのため、学校などで行われる読書感想文の強制も間違った教育と言える。高等教育における輪読と議論も、個人の解釈・感想を損なわせないよう配慮する必要がある。結局のところ、読みたければどんな本でも読めば良いし、読みたくなければ別に読まなくても良い、読まなかったからと言ってその人の人生に多大な損失があるわけではない。それを押し付けたり、読まないことを非難するのもおかしい。

※全くその通りではないでしょうか。「何冊読んだ」とか「名著を読め」だとか「あの難しい哲学本を読破した」だとかはナンセンスな考え方であって、必要なのは自身の好奇心・欲求の矛先に読書があった場合のそれだけでしょう。読書そのものや、他人の思想・意見に触れることの快感・喜びを体験してみるという、お試しの意味での動機無しの読書はある程度ありかもしれませんが、それ以上は不必要でしょう。必要ならばいずれ自ずとそうなります。読書感想文の制度も、きっかけを与えるという意味では大いに有意でしょうが、それでその子に火が着かなければ放って置いていいのではないでしょうか。とにかく「読書は必ず素晴らしい」は神話でしょう。


・「最近の若者は本を読まなくなった」「若者の活字離れ」はウソ。日本史上これほどまでに様々なジャンルの多くの本が市場に出回っていることはなく、ある一定の需要が無ければそもそも出版さえされないということを考えれば別に最近の若年層の読書量・読む活字の量が減っているとは到底言えない。そして上記のように、万一減っていたとして、その人の人生に対して有益ではなかったとしたら、読書経験の少なさは何ら悲観視されるべきことではない。


・何もしないことの楽しさ。レクリエーションとあればどこかに出かけて何かをしなければならないとする風潮や、メディアなどの作る流行に流されて安易に決める、言わば強迫観念のようなものに従う休暇はおかしい。素直に自分が本当に過ごしたいように過ごせばよく、「フランスへ行ったけれども一日中ホテルから出ないで寝転がって本を読んでいた」だとか休みの日にはただボーっとして過ごすことも何らおかしくはない。

※僕も出不精でありますし、最近はいろんな所へ出掛けて行きますが、全て単なる好奇心の向くままにといった動機です。っていうかテレビも旅行雑誌も一切見ないんで、どこへ行っても心行くまで駅から適当に歩き回るのが常です。偶然名所と呼ばれる所に行きつくと感動しますけど、最初からガイドとか見てる人は行きつけて当り前でしょうから、辿り着いたことそのものに関しては恐らく大して感動とかないのでは。「テレビでやってたあの店」とか「今なになにが流行ってるから」とかはメディアや一部の利害関係者が最初から用意したものであって、そこに偶然行きついたわけでもなく、自分の日々の行動や考えから生み出された独特のものでもなく、大変無味乾燥なのではないでしょうか。結局他人が用意したものをなぞって喜んでるだけだと僕などは思いますけど。

・著者は「みんなで一緒に仲良く」とする日本の形骸化した集団主義的規律には幼いころから馴染めずに、その後イギリスへ行った時の「個を尊重し合った上で付き合う」良い意味での個人主義の心地良さに触れる。人と仲良くする、皆と一緒に何かをすること自体が悪いわけではもちろんなく、それに順応できない人間を排斥したり、そのことを欠陥扱いする社会は望ましいとは言えない。

※僕自身もびっくりするほど筆者と似た体験をしていますが。(イギリスでの自己主張と自己抑制の絶妙なバランス、個を尊重しつつ他人と調度良い距離を保ちながら協調を為す社会性の経験)。異なった意見・思想・能力を認め、それぞれが協調しながらも個で独立を保つ余地を空けておく、そういった個人主義と集団主義の中庸が目指されるべきなのではないでしょうか。


筆者は本書にて学問に深く携わってきた立場としての学問の汎用的な価値の主張ですとか、筆者自身の見つけた人生の楽しみ方ですとか、世間で言われる安易な風潮・体制に対する反論ですとか、多くを簡潔かつある程度の論理性を以て語っていらっしゃいます。僕は個人的に共感する体験や主張が多々あったということもあり、面白く読みました。1時間ちょっとあれば読めてしまう分量ですので興味のある方は是非読んでみてください。

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