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本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
Posted by ↑野

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夜と霧 / それでも人生にイエスと言う


夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録
(1985/01)
V.E.フランクル

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(目次)
一 プロローグ
二 アウシュヴィッツ到着
三 死の蔭の谷にて
四 非情の世界に抗して
五 発疹チブスの中へ
六 運命と死のたわむれ
七 苦悩の冠
八 絶望との闘い
九 深き淵より


それでも人生にイエスと言うそれでも人生にイエスと言う
(1993/12/25)
V.E. フランクル

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(目次)
Ⅰ 生きる意味と価値
Ⅱ 病を越えて
Ⅲ 人生にイエスという


かなり有名なヴィクトル・E・フランクルの著書。
夜と霧」は、フランクルがユダヤ人強制収容所に送られた時の経験とその精神分析学的考察を書き記したもの。
単純にどのようなことがあったかだけではなく、それについて冷静な分析と考察を入れているのが最大の魅力。

そして「それでも人生にイエスと言う」の方は、そのような経験をした著者が、生きることの意味や価値について、果たしてそのようなことを語り得るのか、そしてそれはどのようなものかを彼なりに考察したもの。
 
 
夜と霧」の中で特に心に残ったのはやはり、人はどんなに悲惨な状況にあってもなお希望を見出し得ること、そして内的(精神的)に高い生活をしていた人は、その精神的繊細性にもかかわらず、著しい内面化の傾向が現れ、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたということ。

”かくしてドストエフスキーが「死の家の記録」においてかつて人間を定義して、「全てに慣れ得るもの」とした命題がどんなに正しいかを意識せざるを得ないのであった”

フランクルが、厳しい状況下にあって、収容の際に離れ離れになった妻の事を思い、目を閉じれば実際に触れられるのではないかという程に想像した時、とても満たされた心境になったという。
実はその時にはもうフランクルの奥さんは殺されてこの世にはいなかったのだが、実際の生死は問題ではなく、愛する人を思い描き、想うだけで人はそれを糧としてどんな悲惨な状況をも越えていけるということをフランクル自身が体験したのである。

私の精神は、それが以前の正常な生活では決して知らなかった驚くべき生き生きとした想像の中で創り上げた面影によって満たされていたのである。私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見る-そしてたとえそこにいなくても-彼女の眼差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。その時私の身を震わし私を貫いた考えは、多くの思想家が叡智の極みとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについて語ったあの真理を、生まれて初めてつくづくと味わったということであった。すなわち『愛は結局人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものであるという真理』である。

”愛は、一人の人間の身体的存在とはどんなに関係薄く、愛する人間の精神的存在とどんなに深く関係しているか。”

このような想像を絶するような恐怖と悲しみの中にあっても、愛する人を想像し、それによって充たされる。その愛というものの本質をフランクルは身と精神で以て経験したという。
また、囚人の中には、収容所生活の中にあっても自然や芸術を愛する生活があったという。

これらの人間の内面的強さ、絶対的な強制状態における人間の精神の自由が外的にも内的にも存在し続けたという、フランクルの体験と周囲観察によって見出された事実は驚くべきことであると共に人間の神秘として強く印象に残った。

そしてその内的強さを支えるのは愛の他にも、未来や未来の目的に対する視点を持つことが重要だという。

”一つの未来を、彼自身の未来を信じることのできなかった人間は収容所内で滅亡していった。未来を失うと共に彼はその拠り所を失い、内的に崩壊し、身体的にも心理的にも転落したのであった。”

絶望的な状況においてなお精神的自由を保ち、未来に対する希望を失わないことが重要であり、それによって囚人たちの生死が分かれることさえあった。人間における精神というものの重要性を考えられずにはいられない。

これらは何もアウシュヴィッツ強制収容所という歴史的悲劇のみに留まらず、先の大震災であれ、何らかに絶望を感じている個人であれ、事の大小を問わず大変参考になる事実と考察であると思う。人の精神の強さと可能性は凄まじいものがあり、どのような状況にあっても、人は精神的自由と未来への希望を見出し得るというこの事実。実際に自分がこのような状況に陥った時にこれらが可能であるかどうかはさて置き、これらの人間の強さを知っておく事は誠に重要であると思う。

逆に言えば我々は余りに絶望すべきでないことに絶望し、不幸足り得ないことに不幸を感じているのかもしれない。

そんなフランクルが「それでも人生にイエスと言う」で結論として語るのが、「人間はあらゆることにもかかわらず-困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても-人生にイエスと言うことができる」ということ。

人生に意味を求めることがそもそも誤っている。人生こそが私たちに問いを提起しており、苦難と死こそが人生を意味あるものにする。どのような事実であっても、その事実にどんな態度をとるか、それによって生きる意味を見い出すことができる。


我々には想像すらできないような悲惨な体験をしたフランクルだからこそ本質を捉えていて、説得的に語ることができる、そのような内容で溢れているのが本書。

できれば2冊ともご自分の目でご覧になっていただきたい。きっと貴重な何かを得られるはず。

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