本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
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自分の中に毒を持て


自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
(1993/08)
岡本 太郎

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稀代の芸術家といわれる岡本太郎氏の、人間の生き方に対する熱いメッセージ。単に熱いだけでなく、なぜそうであるべきか、そういったことも適宜言及していらっしゃって分かりやすく出来ています。彼自身が天才芸術家であると同時に、学問を高く修めた人でもある。

単に人と違っていてもいいとか、そういうよくある話ではなく、もっと耳が痛くなるような、思わずドキっとなる辛辣な指摘や厳しい言葉が多く、それらに揺さぶられながらも読み進めるのが、なぜか心地よくもあった。

 
 

”ほんとうに生きようとする人間にとって、
                        人生はまことに苦悩にみちている。”



後半部に書かれている、この本の一つの要約のような箇所。
無難に、周りと足並み揃えて生きて行くのは、そりゃ簡単だが、それではいけないのだと。
自己の心の声に素直に耳を傾け、絶えざる自己や社会との闘争の中で、己を実現していくのが本当なのだと。


”人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。”

”生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。”


あくまで前提は「無目的・無条件」であるとしているところが響きます。
「瞬間瞬間にベストを尽くすこと」これは古代ギリシャを初め、本当に多くの思想家が言ってきたことであると思います。いわば「現在志向」とでもいうような。そして実行が意外にも(あるいは当然に)難しい。現在にのみ目を向け、集中し、奮闘すること、これが本当に難しい。だからこそ価値があるのでしょうね。


”繰り返して言う。何度でもぼくは強調したいのだ。すべての人が芸術家としての情熱を己の中に燃え上がらせ、政治を、経済を、芸術的角度、つまり人間の運命から見返し、激しく、強力に対決しなければならないと。つまり、合理に非合理をつきつけ、目的的思考のなかに無償を爆発させる。それによって人間は”生きる”手ごたえを再びつかみとることが出来るだろう。”

現代先進各国の中で、若しくは、都市化された社会の中において多く見られる「合目的的性」「実利性・合理性の有無」という、一種の呪い。これらの関係しない所からしか生まれ得ない芸術的観点を個人も社会も大切にする必要がある。何も合理性がいけないと言ってるわけではなく、論理では捉えられない多くの要素が、そもそも人間の生き方に深く関わっているはず。これらを完全に無視して何も失われない方が考えにくい。要は、どちらかの方向に極端になるなと。


”「面白いねえ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ」眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって心身をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。”

先ほどの無目的という、言わば余白がたくさんあるからこそ、予測不可能な部分が多いからこそ、却って人生が面白くなるという。これは養老孟司さんや宮崎駿さんも言ってましたね、「先が見えちゃったらなんにもおもしろくないじゃないか。っていうか、ほんとに先が見えてたことなんて今まであった?」と。

先が見えないのが当たり前なのですが、我々はよく先行き不透明なことを恐怖に感じ、「人生設計」とか「キャリアプラン」とかいって、随分先のことを予め決めておこうとする、若しくはそれをいいこととする風潮がある。本当に遠い昔に計画した通りの人生になったとして、本当にそれが面白いのか?どうでしょうか。


”生きる―それは本来、無目的で、非合理だ。科学主義者には反論されるだろうが、生命力というものは盲目的な爆発であり、人間存在のほとんどといってよい巨大な部分は非合理である。われわれはこの世になぜ生まれてきて、生き続けるのか、それ自体を知らない。存在全体、肉体も精神も強烈な混沌である。そしてわれわれの世界、環境もまた無限の迷路だ。”

禅の思想と相共通する部分がけっこうありますね。我々が「進歩」と思っているもの自体、我々の頭で判断している以上、本当にそれが「進歩」なのか、これは一段高い所に立って俯瞰して見てみれば、けっしてそのような確信は無いということが分かる。「人類は素晴らしい進化を遂げた」という時、これは人間自身からの完全な主観による判断であって、客観的な根拠は乏しい。例えば動物からしたら人間なんて今日のようになったのは甚だ迷惑であったろうし、地球からすると単なる害虫ですしね。


”人間には、自由という条件が必要だ。自由というのは、たんに気楽にやりたいことをやるのではない。そうではなく、できるかぎり強烈な人生体験を生きるのが、自由の条件なのだ。”

”俗に”失敗は成功のもと”という。そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが、また生きる喜びなのだ。通俗的な成功にいい気になってはならない。むしろ”成功は失敗のもと”と逆に言いたい。その方が、この人生のおもしろさを正確に言い当てている。淡々とした道を滑って行く虚しさに流されてしまわないで、傷つき、血の吹き出る身体をひきずって行く。言いようのない重たさを、ともども経験し、噛みしめることだ。それが人生の極意なのである。”


自由の定義や充実した人生の定義、それらが岡本さん独特の定義の仕方で興味深い。血の噴き出る身体を引きずって行くような、そんな過酷な生こそ本当の充実なのだと。


”いい絵なんて、パリには腐るほどある。そしてそんなことはちっとも面白くない。いくら深刻がって、ふんぞりかえったって、絵などというものは人生の一部であるにすぎない。……なんだ、絵じゃねえか、と思ってしまう。 ”

芸術家がこう言うからこそ説得力がある。


”純粋に生きるための不幸こそ、本当の生きがいなのだと覚悟を決めるほかない。”

”社会内の個。純粋であればあるほど人生というものは悲劇だ。人間はすべて矛盾の中に生きている。だから矛盾に絶望してしまったら負け、落ち込むのだ。それよりも、矛盾の中でおもしろく生きようと、発想を転換することはできないだろうか。”


一番最初の引用と同じく、純粋に、真に生きるためには、どうしてもそうなってしまうのだということ。不幸という境遇にむしろこのような意義と歓びが感じられるほどになれば、これほど強い人もいないでしょうね、まさに失うものが常に何もない不屈の状態と言うべきでしょうか。


”自分がまだ自由でない、と考えるのならば、それでもかまわないという気持ちで、平気でやってゆくべきなんです。「自由」ということにこだわると、ただちにまた自由でなくなってしまう。これはたいへん人間的な矛盾ですが。”

自由に生きようとこだわり過ぎると、それに囚われてしまっているという点でもう自由ではないと。それよりそれらを意識せずにずんずんと進んでいけばよろしいということですかね。


”「出る」のは固くて冷たい釘ではない。純粋な人間の、無垢な情熱の炎だ。


” 矛盾を、むしろおもしろいと考え、そのズレを平気でつき出せばいいのだ。”

”ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。”


捕捉しておくと、この釘というのは「出る杭は打たれる」の杭と同じ意味です。多数の他者や世間の価値観と違う時には、それが無垢な情熱の炎としての杭である可能性も高いということ。


”小さな存在こそ世界をおおうのだ。”

岡本さんは高名な芸術家であり、優れた知識人でもあったのですが、常に目線は小さき者にも、ささやかなものにも向けられており、華々しい名声や、世間的な成功の尺度などは欺瞞だとしている。それに関連する坂本九さんのエピソードも出てくる。


”自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。そもそも自分と他を比べるから、自信などというものが問題になってくるのだ。わが人生、他と比較して自分を決めるなどというような卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目もふらず突き進むだけだ。”

”情熱というものは”何を”なんて条件つきで出てくるもんじゃない、無条件なんだ。”

”死に対面する以外の生はないのだ。”

”世のすべての中でもっとも怖ろしいものは己れ自身である。あらゆる真実も愚劣も、己において結局は決定されるのだ。”

”自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。そんな生き方は安易で、甘えがある。ほんとうに生きていくためには自分自身と闘わなければだめだ。自分らしくある必要はない。むしろ、”人間らしく”生きる道を考えてほしい。自分に対してまごころを尽くすというのは、自分に厳しく、残酷に挑むことだ。ほんとうに生きるということは自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命を切り開いていくことなんだ。”



”人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命を拓くのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、命は分厚く純粋に膨らんでくる。 今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。




はい、ということで、著名な芸術家であり、優れた学識を持つ岡本太郎さんからの辛辣でありながらも、理があると感じずにはいられない言葉の数々であると思いました。

っていうか、岡本太郎さんってジョルジュ・バタイユと親交があったんですね。しかも彼の秘密結社の一員になるほどの!いやー、ジョルジュ・バタイユが秘密結社を作ったことは知っていましたが、岡本太郎さんも関わっていたとは、びっくりでした。

あとソルボンヌ大学ではあのマルセル・モースに師事していたとか。彼のもとで哲学・社会学・精神病理学・民俗学を学んだということです。豊かな学識が彼の創作にも大いに影響していたのでしょうか。


「真に生きるとはどういうことか」このことを岡本さんの経験と知でもって存分に語られたのが本書です。

僕が個人的に最も心を動かされたのはやはり上記のこの言葉でした。


”ほんとうに生きようとする人間にとって、
         人生はまことに苦悩にみちている。”



本当に苦悩をさえ糧とすることができたとき、我々は一体どれほど強くなれることでしょうか。

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