本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
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わがいのち月明に燃ゆ ~一戦没学徒の手記~


わがいのち月明に燃ゆ―戦没学徒の手記 (1967年)わがいのち月明に燃ゆ―戦没学徒の手記 (1967年)
(1967)
林 尹夫

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京都を中心にした生活よ おれは、なんじらをわが胸に、しっかりと抱きしめて生きるぞ おれは生きる。大和民族のために働く
しかしおれは、軍隊に奉仕するものではない。おれは現代に生きる苦悩のために働く。そしておれは、よき軍人になるために生きるのではない。その点におれは、僅かな自由意志の途を見出すのだ。

おれは、軍隊に入って国のためにという感情を呼び覚まされたことは、軍人諸君を通じてというかぎり皆無である。
ただF先生のお便りや、身近ななにかにより、国民が直面する苦悩を反省させられて、おれは軍隊とか、あるいは、機構的にみた日本の国のためではなく、日本の人々のために……いな、これも嘘だ。おれが血肉を分けた愛しき人々と、美しい京都のために、闘おうとする感情がおこる。
つまらぬ、とも、わけが判らぬ、とも、人は言うがよい。
おれはただ、全体のために生きるのではないのだ。全体がその生命を得ぬと、個人の生命がまっとうできぬがゆえに、おれは生きるのだ。この意味で、おれの日本観は、純粋でないと言えるかもしれぬ。
しかしおれは、架空の日本観よりは、たとえ利己的なりといえ、少数の敬愛する人々のために生きるのだ、と言いたい。
おれは抽象や観念に生きる人間ではない。おれは直接、おれの胸にグンときて把握しうるもののために生きるのだ。
おれはくだらぬ哲学者ではない。おれは歴史家だ。文学青年だ。そして市井の一人だ。
それらしく生きれば可なり!ではないか。







人間は、本質的に弱さをになって生きている。しかも強くならんと意欲する。弱き人間、才能なき人間。要するに平凡人は、その平凡の沼地より、強く、輝かしい大空へ飛躍せんと熱望する。そこに平凡人の努力の真剣さがあるのだ。 ー 165ページ


意味は問わず。ただやりたきがゆえに。進むべきか退くべきかという時は、ぐんと進め。 ー 163ページ



恐らく、かかる努力はムダなものとして、何らの実をも結ばぬであろう。しかしそれでもよいのだ。人生において、特に現在のような一歩先も判らぬ時代に、結果を予期したとて、何ができよう。結果より「我これを望む」という欲求に、そして自己の世界観が暗示する生き方に眼を転じよう。そこから意味を汲み取り、生き方を決定すべきなのだ。現代において、信頼しうべき唯一の地盤は、ただ自己の世界観のみだ。権力も富も、いずれもたしかなよりどころとならぬ。それらはすべて脅かされる。そこに一つの道を切り開くものは世界観のみと思う。 ー 162ページ


自己向上の世界、おれのみ生きられる世界を持つこと、それはおれにとって不可欠の要素なのだ。 ー 161ページ


人生は辛い。嘆きの淵だ。少なくとも現代において。しかも嘆きの淵だからとて、逃れられぬところに、また人生の苦しさがある。そしてそうである以上、我々はなんとかして強く生きる道、あるいは、とにかく生を意味づける道を発見せねばならないのだ。 ー 156ページ


潔よく、わが精神の求めぬものを捨てて、心のびやかに生きる態度を持つべきである。 ー 145ページ


人はめったに、死んではならないのだ。 ー 135ページ


いかなるときも常に「精神の王国」を持て。 ー 118ページ


結局、自己の問題を追求する以外に、我々の生は進まないのだ。 ー 115ページ


つらいのは、死ぬことよりも、生きることなのだ。生活に自己を打ち込めぬ、そして自己を表現する生活をなし得ぬままに死んでしまうとしたら、こんな悲惨なことが、あろうか。 ー 114ページ


ぼくにとって、学問することは救済と同じである。ぼくの楽天主義はそこにある。 ー 92ページ


愛とは、相互の自己向上であり、愛することとは相互を豊かならしめることにほかならない。 ー 89ページ


戦争で死ぬことを、国家の、かかる要求のなかで死ぬことを、讃えたいとは露ほども思わぬ。その、あまりにもひどい悲劇のゆえに。ああ、すべては宿命だ。その宿命を世代として担いながら、努力しながら、しかもこれに抵抗しなければならぬ矛盾のなかに、われら、人の子の悲しき定めがあるのだ。 ー 64ページ


ぼくといえども国家と民族のためには銃を把る。しかし人間には本来的に、どうにもならぬ領域がある。すなわち人間の自由精神は、絶対的に他の力で没せられぬ要素である。人間に自由を与えよ。おのおのがその分を尊重せよ。人間は、国家そのもの、戦争そのもののためにのみ、生きるものではない。まさに人間は自己のために生きているのである。これあればこそ、国家のため、民族のために、死をいとわぬものなのである。自由精神の理想、失うべからず。 ー 62ページ


日本の戦争による苦しみ、それは決して本来的に、現在の為政者だけの責任ではない。もっと根深いものがあるのだ。この意味において、この戦争は日本、ならびに世界の現代の矛盾にもとづく、国家悪としての歴史的必然であるがゆえに、我等が頭上に宿命的なものとして迫る。個人の批判と抵抗を排除して襲いかかってくる。この意味において、歴史はやはり必然の世界であるまいかと、ぼくは思う。 ー 61ページ


抗議するも、むなしきprotestか。すべての人が、別物に感じられる。 ー 60ページ


日本よ、ぼくはなぜ、この国に敬愛の念を持ちえないのか。日本の実体は、いったいどこにあるというのか。 ー 59ページ


真面目に学問すること、それは喜びである。その喜びを感じ得ないことは、真に学ばざるがゆえである。 ー 37ページ


重要なのは、誠実な生、偽りの無い生、全体的に自己のもとに統一された生なのである。認識と行為が、統一的存在となってこそ、自己の生と言い得る。その生に、我々は責任を持たねばならない。 ー 33ページ


歴史的事実の列記。それは大きな意味を持つ。歴史に一つの理念を見いだし、統一的精神をもって把握せんとする者にとって、事実の列記は、見れば見るほど、広さと深みを示すからだ。 ー 30ページ


頼るべきものはなにか。それはただひとつ、現在の努力のみである。これが主観的価値の基準である。人に劣っている、と思うこと、それ自体がもっとも不真面目な、精神的弛緩であり、不道徳的な、精神の減衰である。もっと本質的なものに基準を置かねばならぬ。それはなにか。それこそ現在における努力のみ。よくなろうとすること、これが本質なのだ。そしてこれは、他との比較によるものでなく、自分の努力に絶対の基準を持つことである。自尊と自信は個人の美徳である。 ー 29ページ


我々は生きている。そして我々の生を、清く正しく、価値あるものに高めなければならない。そしてこの清さ、美しさ、価値は、客観的基準によって規定されるものでなく、主観的な誠実さを主体とする意志の評価によってはからるべきものである。これこそ本質的なものであるまいか。すなわち、可能なのは、ただ努力だけである。 ー 25ページ


友情は、低調な浪費的生活でなく、愛を基礎とする、創造的交流である。 ー 25ページ


寂しいなどと言ってはならない。寂しさは、人を求めて解決すべきでない。みずからの実践行為で解決し、止揚すべきだ。 ー 24ページ


人間には、この一事という自覚が常になければならない。背水の陣の生活意欲が、ぼくに大事なのである。 ー 15ページ


応援団の檄に曰く。「真に徹底…純粋な…永遠な…たくましい…燃えるような努力…」なんていやな言葉であろう。生活において、それを実行している人は、けっしてみずからそれを意識しない。 ー 13ページ


私はどうしても生きねばならない。充実した潔く美しい生をひらいてゆかねばならない。自分の尺度を持つことだ。自分の足場がなければならない。 ー 13ページ


孤独に沈潜しよう。浮薄な虚飾を避け、徹底的な実態の創造に努力しよう。独りに徹しよう。それに徹底することにより、普遍的な”あるもの”を把握してゆきたい。 ー 11ページ


ただ、徹底的に努力することのみが、ぼくを生かすことだ。slowでよい。しかもsteadyでなければならない。往々にしてslowだとlooseになるのは、厳に注意すべき点である。 ー 10ページ


勉強によってはじめて、同じ苦悶でも、心の深奥から発する者と、生の倦怠から生ずるものとは、篩をかけられるからだ。その意味で、ぼくが勉強をするということはぼくが本当の道を進むために、なくてかなわぬものだ。 ー 9ページ


自己建設が第一だ。そして建設ということのみが唯一最高の道である。 ー 7ページ




前半などは、彼が高校在学中に日記に書いていたことなのですが、ここまですごいことを考え、教養高いのかと驚きました。本当に、戦争で死なずに生きていれば、その後の日本国内外でかなり活躍したのではないかと思わざるを得ません。このような才能と魂を持った青年が、国の戦争という一種の暴力で、儚くも散らされてしまったという事実が残念でなりません。

読んでいる間はたびたび自分自身の中高生時代の生活ぶりを思い出し、ものすごく恥ずかしくなりましたよ。こんなに立派な内省力を持った、克己心の強い高校生がいるんだということ自体、個人的に驚きです。

やはりこの書の内容的に想起されるのが「アンネの日記」であると思いますいが、アンネ・フランクもずいぶんと賢くて、才能があって、しっかりとしていて、そして大きな夢と希望を持っていたわけですよね。そして、彼女も林さんも、二人とも、戦争という悲劇によって振り回され、殺されてしまったという悲惨な共通点を持っている。

アンネの日記やフランクルの「夜と霧」の書物と同じく、我々がこの最悪の人災を忘れずにまた繰り返さないためにも、こういった内容に触れ続けるのが大切なのでしょう。

こういった内容の本を読むたびに、単に戦争などの残酷さや馬鹿らしさに憤るだけでなく、自分自身の恵まれた境遇を再認識する機会にもなり、また、自分自身が如何に堕落しているか、克己心が欠けているかが露わになり、ある意味で素晴らしい反省の書ともなると考えるのです。

そして冒頭で長く引用したように、決して戦争そのものや、当時の日本政府の方針に共感していたわけではなく、むしろそれには反発しつつも、最も身近で親しい愛する人たちのために入隊し、出撃したという彼の心境が、とてつもなく高潔であったと僕は思います。

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