本のクソ虫野郎

  ~気に入った本・映画の記録と雑記~
Posted by ↑野

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文読む月日 トルストイ


文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)
(2003/12)
レフ・ニコラエヴィチ トルストイ

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文読む月日 (中) (ちくま書房)文読む月日 (中) (ちくま書房)
(2004/01/11)
トルストイ

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文読む月日 下 (ちくま文庫)文読む月日 下 (ちくま文庫)
(2004/02/11)
トルストイ

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トルストイの、彼が読んだ古今東西様々な賢人たちからの引用と自身の考察により構成された、日記形式の人生論。

トルストイはキリスト教徒であり、僕のような無宗教の者からしたらちょっととっつきにくい宗教的内容も多々ありますが、そういうところを読み飛ばしたとしても本当に参考になる内容の詰まった三冊であると思います。

どのように生きるかについて、トルストイだけでなく、彼が読んで厳選した古今東西の賢人の言が合わせて載っているというのがとても贅沢であり、より説得力が増すかのように感じましたね。

自分がそれまで読んだことがある見慣れた人物の引用から(アウレリウス帝など)、誰だそれ!?というマイナーな人の引用まで。そのマイナーな賢人や書物の名を知ることで、ますます未だ読まぬ賢人の書への扉も開かれることであろうと思います。


ということで、内容も多岐にわたりますので、自分が読んでいていいなと思った箇所の引用を載せておきます。




文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)
(2003/12)
レフ・ニコラエヴィチ トルストイ

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最善の死に方をするための準備をするがよい。
ー 594ページ


立派に生きることはもちろん大事だけれど、立派に死ぬことは何よりも大事と言えるくらいである。
ー 593ページ


賢者とはどんな人か?―あらゆる人から何かを学ぶ人である。 強者とはどんな人か?―己に克つ人である。 富者とはどんな人か?―自分の運命に甘んじている人である。
ー 585ページ


自分の欲しいものが手に入るのは大きな幸福である。しかし、自分の持っているものの他に何も欲しがらないのは、もっと大きな幸福である。
ー 584ページ


節制は、けっして力の抑止を意味せず、また善の停止、愛と信仰の発言の停止を意味せず、むしろ反対に、人に自分が悪と思うところを行わせないように抑止する精神力の発現である。
ー 584ページ


およそ真に偉大な事業は、徐々に、目立たぬように達成される。
ー 582ページ


善を信ずるためには、善を始めねばならない。過ぎゆく一日一日を善事で飾るがよい。善をなすとき、そのことに感謝せよ。
ー 579ページ


自由を否定する人々は、光を否定する盲人たちのようなものである。彼らには、人間が自由である世界のことがわからないのである。
ー 578ページ


なぜ、決闘とか戦争とか自殺とかいった出鱈目なことにすべてを犠牲にし、進んで生命すら棄てる者はよく見かけるのに、真理のために生命を棄てる者はめったにいないかと言えば、世間から褒められたりおだてられたりして頭が変になれば、別に信念などなくとも命を棄てることは容易であるけれど、世間に逆らって死ぬ覚悟を決めるほど堅く真理を信ずることは非常に困難だからである。
ー 564ページ


何人をも何ものをも恐れるなかれ。汝のなかの最も貴重なものは、何人にも何ものにも損なわれることはない。
ー 559ページ


人はみな自分で、自分のために、生と死の意義に関する問題を解決しなければならない。 君子はすべてを己に求め、小人は他人に求める。
ー 555ページ


自分はこの世に定住しているのでなく、この世を通り過ぎているのだ、ということを忘れないようにするがよい。汝の一生は、悠久の時間の中の一微分子にすぎない。されば心して、そのたまゆらの間にできうるかぎりのことをなせ。
ー 551ページ


今すぐにもこの世に別れを告げねばならないかのような、残された時間を思わぬ贈り物と受け取るような気持ちで生きるがよい。
ー 550ページ


人生は死への不断の接近である。それゆえ死が悪と映じなくなったとき、はじめて人生は浄福となる。
ー 547ページ


徳は絶えず前進し、しかも絶えず新たに出発する。
ー 540ページ


善良さと結び合わされた謙虚さほど魅力的なものはない。しかしそれは探し求めねばならないのであって、展示されてはいないのである。
ー 534ページ


自分の努力以外の何かに救いや幸福を見出そうと思うことほど、人間の力を弱めるものではない。
ー 534ページ


現世においても来世においても、自分自身の外に幸福を探すのは間違いである。われわれこそわれわれ自身の救済者であり、また破滅者でもある。
ー 531ページ


土地に播かれる種にしろ、人の心に播かれる種にしろ、とにかく種を撒くということは神秘的な仕事である。人間はみな農夫のようなもので、よく考えれば彼の課題は生命を耕し、その上に満遍なく種を撒くことに尽きると言っていい。そして言葉こそ―そのための最も重要な手段なのだ。
ー 517ページ


簡潔に表現された力強い思想は、生活改善に大いに役立つものである。
ー 516ページ


諸君が懐く思想ないし語る思想は、結局善あるいは悪を行う能力に転じ、因果応報となって諸君に返ってくるのである。
ー 516ページ


人の肺腑から迸り出たよき格言は、手本となるよき行為と同様に有益である。
ー 516ページ


人々が自分自身のために学んでいるとき、その学問は彼らの役に立つ。
ー 514ページ


真の人間というのは、先人たちがわれわれのためにやったことを知るばかりでなく、それと同じことを未来の世代のために行う人のことである。同一の思想が故意に二度繰り返される場合があるが、その思想が新しい側面から表現されさえすれば、それは少しもかまわない。もしわれわれが自分で考えるのであれば、以前に発見されたものをそれによって再発見することは、やっぱり大事なことである。
ー 514ページ


人間は自分の力にかなうかぎり、そしてまた境遇が許すかぎり、自分や自分の隣人の幸福に協力せんがためにのみ生きている。それで、その最終目的を早く達成するために、先人の経験を利用する。そのために彼は学ぶのである。
ー 513ページ


賢者は自ら知らんがために学び、愚者は人に知られんがために学ぶ。
ー 513ページ


論争のとき怒りを感じるや否や、われわれはすでに真理のためでなく、自分のために論争しているのである。論争の際は言葉は柔らかく、論拠ははっきり示すがよい。相手をへこませるのではなく、相手を説得することが大事なのだ。
ー 511ページ


もし何かが恐ろしいときは、恐怖の原因が君の外にはなくて、君の中にあることを知るがよい。
ー 510ページ


”己の心を蝕ましめるな。過ぎ去ったこと、葬り去られたことを嘆き悲しむな”と賢者たちも教えている。ひたすら汝が現在なすべきことをなし、星のように休まず急がぬがよい。
ー 510ページ


汝自らの行為を責めよ。そして責めても絶望はするな。
ー 509ページ


人生の目標を精神的完成に置く人は、いかなる外的事件をも恐れるものではない。
ー 508ページ


人間は、自分の生を肉体的存在から精神的存在へ移行せしめる度合いに正比例して、己の自由を感ずるものである。
ー 485ページ


通常人類がそれに従って行動するような動機や原因を拒否して、自分自身を信じようと決意する人は幸福である。一般社会やその慣習や法規に替えるに自分自身をもってし、ただ自分の内的信念のみが、他の人々に対して”鉄の必然性”が持つのと同じ力を自分自身に対して持つようになるためには、その人の霊がきわめて高潔で、意思が強固で、物を見る眼が澄んでいなければならないのだ。
ー 482ページ


われわれの支出のほとんどが、他人の真似をするためになされている。
ー 479ページ


真に聡明な人間は、無駄なものをみんな破棄して、最後には自分にとって必要不可欠なものへ帰ってゆく。
ー 479ページ

本当に善いものはいつも安く、有害なものはいつも高い。
ー 479ページ


真の幸福の源泉―それは心のなかにある。ほかの場所にそれを探す者は愚者である。それはちょうど、自分の懐に抱いている子羊をきょろきょろ探す羊飼いのようなものである。
ー 477ページ


われわれは他人のために生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである。一見不思議に思われるけれど、実践さえしてみれば、本当だということがわかるだろう。
ー 466ページ


建物が完成したとき足場が取り壊されるように、死は人間の肉体を取り壊す。建物ができあがった人は、その足場が取り壊されるのを喜ぶ、つまり己の肉体の死を喜ぶのである。
ー 466ページ


精神によって生きる人は、彼が味わうさまざまな苦悩が、彼を自分の望む完成へのゴールへ近づけることをおのずと感じないではいられない。そのような人によっては、苦悩もその苦みを失い、転じて幸福となるだろう。
ー 464ページ


運命自体がいったいどんなものかということよりも、その運命をどんなふうに受け止めるかということが、より大事である。
ー 463ページ


苦しむことの尊さを知らない人は、まだ理性的な生活を、換言すれば真実の生活を始めていない人である。人類のなかの偉大な事業は、すべて苦悩の条件下で行われる。夜の闇のなかに星が見えるように、苦悩のなかにこそ人生の意味が見えるものである。
ー 460ページ


すべての人は己に対する尊敬を要求することができるが、同様にまた、己の隣人を尊敬しなければならない。いかなる人も、単なる手段や目的ではあり得ない。まさにその点に彼の人間的尊厳性は存在する。そしてまた、彼がいかなる代価によっても自分を売り渡してはいけないように(そのことは彼の人間性に反する)、万人に対する平等な尊敬という道徳的義務を免れることは、けっしてできない。換言すれば、彼は万人の中の人間的尊厳性を実際に認め、万人に対してその尊厳性に対する敬意を表するにやぶさかであってはならない。
ー 450ページ


暴虐な主人であることは、従順な奴隷であることより悪い。貧困を苦にせず、むしろ贅沢をこそ苦にすべきである。
ー 423ページ


絶えず俗世の喧騒のなかにあっては、自己完成は不可能であるが、絶えず一人で暮らしていては、もっと不可能である。自己完成にとって最もいいことは、孤独のなかで自分の人生観を磨き上げ、しかるのち、世間においてそれを実際に適用することである。
ー 397ページ


我々の幸不幸は、人々の我々に対する態度にではなくて、我々の我々自身に対する態度にかかっている。それゆえ諸君は自分自身の、自分の霊の改善に努めるがよい。それによって諸君は、自分のためにも他人のためにも最善を尽くすことになる。
ー 397ページ


日々よりよき人間になろうと精進する生き方よりもよい生き方はなく、実際に自分がよりよき人間になりつつあることを感ずることよりも大きな喜びはない、と私は思う。これこそ私が今日まで絶えず味わってきた幸福であり、私の良心が私に向かって、これこそ真正の幸福であると語っている。(ソクラテス) 人間にとって最大の幸福は―自分が、一年の終わりには一年の初めと比べてよりよき人間となっていると感ずることである。(ソロー)
ー 396ページ


若い時には人々は、我々が自分や他人に望む善徳が可能であり、人間の使命は絶えざる自己完成であって、あらゆる罪悪や不幸をなくすことは可能であるのみか、むしろ容易でさえあると信じている。そうした若者の夢想を滑稽だと思ってはいけない。むしろその夢想の中にこそ、世俗の垢に塗れ果てて、人間本来の生き方とまるで食い違った生き方を長く続けてきた老人たちが、他人に向かって、何も望むな、何も探すな、ただ漫然と生きよと勧める言葉の中によりも、はるかに多くの真理が存在するのである。
ー 396ページ


低劣な人間に媚びへつらうよりも、生命を失うほうがましである。富者に仕えて贅沢するよりは、赤貧に甘んずるほうがましである。富者の門に立たず、哀願の声を上げないこと―これこそ最上の生活である。(インドの教典) パンを得るために人間としての操を失うよりは、飢えて死ぬほうがましである。(ソロー)
ー 393ページ


満足を探しまわるな。むしろ常にすべてのなかに満足を発見するように心がけるがよい。たとえ諸君の手は忙しくても、心が自由であれば、ほんの些細なことが諸君に満足をもたらし、諸君の耳にするすべてのことのなかに、なんらかの興味深いもの、快いものを発見するであろう。
ー 392ページ


死を恐れもせず、またそれを願いもしないといった、そんな生き方をしなければならない。
ー 390ページ


賢人は潔く諸行無常の理に服する。
ー 388ページ


肉体労働なくして休息の喜びはなく、精神的努力なくして生けるしるしありとの喜びはない。
ー 387ページ


知らざるを恐るるなかれ、むしろ誤れる知識を恐れよ。
ー 385ページ


自分自身に克って、他人を自分と同じように尊重し、己の欲するところを人に施すこと―これこそ仁愛の教えと言っていい。これより高い教えは一つもない。
ー 343ページ


己に打ち克つ人は、戦場において百万の軍隊に打ち勝つ者より偉大な勝利者である。すべての他人に勝つよりも自分に克つほうがずっとよい。
ー 343ページ


人々とともにいるとき、孤独のときに学んだことを忘れぬがよい。孤独の内にあるとき、人々との交際によって学んだことを思うがよい。
ー 342ページ


他人の眼を借りてはじめて、われわれは自分の欠点を見ることができる。
ー 340ページ


叡智は孤独裡の精神活動によって、また人なかで汝自ら思うことによって獲得される。
ー 339ページ

いかなる名誉をも期待することなく、汝がなすべきと思うことをなせ。愚者は善き行為の悪しき批判者であることを忘れるな。
ー 338ページ


俗世間から非難される人々のなかに、すぐれた人を探し求めよ。
ー 338ページ


善は常に俗世の掟に反するものである。
ー 338ページ


諸君のいっさいの天分や知識を、他人への援助の手段と考えるがよい。
ー 332ページ


現在の生活のみが真の生活である。過去はすでになく、未来はまだやって来ない。現在の瞬間のみが実在である。だから、現在の瞬間を善く生きること―そのことに全精神力を集中して努めるがよい。
ー 308ページ


自分の善行だけを隠すようにするがよい。
ー 307ページ


人に対して恥じる感情は、よい感情である。しかし自分自身に対して恥じる感情は、もっとよい感情である。
ー 306ページ


正しき富は、みんなが満ち足りた社会にのみ存在しうる。
ー 305ページ


もしも君が常に真実を語り、虚偽を拒否し、疑わしいものだけを疑い、善と益のみを願うほどに幸福な人間であるならば、君は悪人にも愚者にも腹を立てることはないであろう。もし君が自分の欠点に思いを馳せ、それを矯正しようと努めるならば、他人を非難することなど思いもつかず、またそんな暇もないであろう。
ー 300ページ


サタンはサタンによって追い払うわけにゆかず、虚偽は虚偽によって矯正されず、悪は悪によって克服されはしない。
ー 297ページ


もしも君が、現在の社会体制が間違っていて、それを改革したいと思うならば、その方法はただ一つであることを知るがよい。すなわち、すべての人々がより善良になることがそれであるが、そのために君にできるただ一つのことは、君自身がより善良になることである。
ー 296ページ


叡智とは多くを知ることではない。叡智とはなるべくたくさん知ることではなくて、どんなのが一番必要な知識で、どんなのがそうまで必要でなく、どんなのがもっともっと必要でないかを知ることである。人間に必要な知識のなかでも最も大事なのは、いかにしてよく生きるかについての知識である。現代の人々はいろんな無駄なことは研究するけれど、この一番大事なことだけは学ぼうとしない。
ー 291ページ


不快感を与える人、自分に敵意を懐く人を愛する者のみが、真の愛を知る。愛の真実性を知るものは―敵に対する愛である。
ー 287ページ


真の人間になりたい人は、世俗に媚びる態度を放棄しなければならない。真の生き方をしたい人は、世間で善と受け取られている物事によって誘導されることなく、真の善とは何か、そしてそれはどこにあるかを綿密に探求しなければならない。自律的な精神的探究心ほど尊く実り多いものはない。何よりもまず、人生のもろもろの現象に対してそのような関係を確立し、しかるのちに直面する様々な問題を自ら解決するがよい。
ー 285ページ


失うべき何物も持たない人こそ、最も富める人である。
ー 284ページ


過去の行為がそんなにその人の生き方に強い影響を及ぼすにしても、人間はやっぱり自分の精神でその生き方を変えることができる。
ー 281ページ


人間の仕事―それは彼の生き方である。それゆえ人間にとって最も大事なことは、現在彼が何をなすかということである。
ー 279ページ


汝は死ななければならない―だから汝のなすべきことをなせ。寛容をもって怒りに克ち、善をもって悪に克て。人々が汝に誤った判断を下してもなんであろう?汝は彼らに媚びる義務もなければ、彼らにちやほやされる義務もない。汝のなすべきことをなし、来るものをして来たらしめよ。
ー 264ページ


もしも勤労そのものがあなたにとって第一義で、報酬は第二義であるならば、勤労およびその創造者なる神があなたの主人となるであろう。もし勤労があなたにとって第二義で、報酬が第一義であるならば、あなたは報酬およびその創造者なる悪魔の奴隷となるであろう。しかもその悪魔たるや、最大級に低劣なのである。
ー 263ページ


自分は何も知らないという人は―実は賢い人である。 自分は学があるという人は―ホラ吹きである。 黙っている人は―最も賢く、最もすぐれた人である。
ー 254ページ


善事に対して、他にいったいどんな報酬が欲しいというのか?人が善事を行うことによって味わう喜びの中に、すでにその報酬はあるはずである。その他のいっさいの報酬は、その喜びを減殺するものである。他人に対して善を行う者は、何よりも自分に対して善を行っているのである。善を行うのは喜ばしい。自分の行った善を誰も知らないことがわかったら、その喜びはますます増大する。
ー 243ページ


死は翌日の到来よりも、昼の後の夜よりも、夏の後の冬よりも確実にやって来る。だのになぜわれわれは、翌日に備え、夜に備え、冬に備えながら、死に備えようとしないのだろう?われわれは死に備えなくてはならない。死への備えはただ一つ―善なる生活である。生活が善であればあるほど死は恐ろしくなく、容易に死を迎えることができる。聖者にとっては、死は存在しないのだ。
ー 238ページ


死を恐れる人間は真に生きてはいない。 人間がより多く精神に生きれば生きるほど、彼にとって死の恐怖は少なくなる。もし彼がもっぱら精神によってのみ生きれば、死は全然恐ろしくなくなる。
ー 236ページ


よい生活をしようと心がけるのは、聖人になるためではなく、従来よりも少しでもよい生活をしようと心がけることである。それこそが万人にとって最も重要な仕事であり、それこそが、われわれ一人一人にとっての、そしてまた全人類にとっての最大の至福である。
ー 233ページ


芸術や学問の価値は、万人の利益に対する無私の奉仕にある。
ー 230ページ


芸術は人々を合一せしめる手段の一つである。芸術はその目的が道徳的完成である場合に初めてその所を得る。芸術の任務は、愛をもって教えることである。
ー 229ページ


愚者は沈黙するにしくはない。しかしそのことが分かっていれば、その人はもはや愚者とは言えない。君が話すとき、その言葉は沈黙にまさるものでなければならない。
ー 224ページ


もしも人が真理を見て脅え、それを認めようとせず、自分がこれまで真理と考えていたことが実は虚偽であったという意識を圧殺しようとするならば、彼は永久に自分のなすべきことを知らないであろう。真理のために真理を愛する賢者たちは、真理を自分の所有物にしようなどとは思わない。彼らはどこで真理と出会っても、感謝してこれを受け入れ、それに誰かの名前を書いたレッテルを貼ったりはしない。なんとなれば、それらの真理は永遠の昔からすでに彼らに属していたのだから。
ー 207ページ


宗教が進歩するというのは、何か新しいものが発見されるということではなくて、すでに発見され表現されたものを浄めることにほかならない。
ー 196ページ


われわれは自分のことを思い煩い、自分のことにかまけることが多ければ多いほど、そして自分の生命を守ろうとあくせくすればするほど、ますます弱くなり、ますます不自由になる。反対に自分のことを思い煩うことや、自分のことにかまけることや自分の生命を守ることにあくせくすることが少なければ少ないほど、ますます強く、ますます不自由になる。もし物事が我欲を離れ、我意を離れてなされるならば、何もかも容易に、うまく行われるであろう。真理を説く言葉は、それが我を棄却した人によって発せられる場合のみ、信頼に値する。
ー 182ページ


人々は、遠い昔から王侯とか貴族とか富者とか労働者とか乞食とかに分かれていて、みんなもともと平等のはずであることを知りながら、まるでそのことを知らないかのように暮していて、現実には人間の平等なんてありえないという始末である。そんなことを信じないがよい。そして幼児に学ぶがよい。幼児のように誰とでも愛情と慈しみをもって接し、万人に差別なく振舞うがよい。また、もしみんながある人々を卑しむのを見たら、そうした悪い手本に従わないために、ことのほかその人々を尊敬するように努めるがよい。
ー 181ページ


率直さとは己の人間としての尊厳性を意識することである。率直さは常に感情の高尚さから生まれる。言葉は人々を接近させる。それゆえみんなが君を理解できるように、そしてまた君の言うことがすべて真実であるように、話す努力をしなければならない。率直さほど、人々を接近させるものは何もない。
ー 175ページ


真実の言葉はいつも飾られることなく、かつ簡潔である。 最も偉大な真理は―最も簡潔である。
ー 174ページ


天性の素朴さと、叡智から来る素朴さとがある。そしてその両者とも、愛と尊敬の念を招くものである。
ー 174ページ


真の解放は―ただ愛のなかにのみある。
ー 163ページ


良心が平穏で、己の置かれた立場に安らぎを感じさえすれば、何がどうなろうといいではないか!君は当然あるべき君でありさえすればよい。
ー 156ページ


人は深く内省すればするほど、自分自身がつまらぬ者に思われてくるものである。それが叡智に至る最初の一歩である。
ー 153ページ


戦争によって生ずる物質的損害がどんなに大きくても、それが単純でものを考えることの少ない勤労大衆の精神にもたらすところの、善悪に関する歪められた観念の及ぼす害悪に比べれば、物の数ではない。
ー 150ページ


絶えず汝自らを省みよ。そして、他人を非難する前に、自分自身を正すことを思え。
ー 150ページ


もっぱら自分の動物的生活の改善に向けられた活動ほど、自分のためにも他人のためにも有害なものはなく、自分の霊の改善に向けられた活動ほど、自分のためにも他人のためにも有益なものはない。
ー 148ページ


奇妙な話ではないか!われわれは外部からの悪には、換言すれば、他人から被る悪、どうにも排除できない悪には憤慨するけれども、いつも自分の支配下にある自分自身の悪とは、いっこうに闘おうとはしない。
ー 147ページ


最高の知性は非常に簡潔である。しかし人々がそれを理解しないのは、彼らが自分たちにわかっていないことをわかっていると考えているからである。 ー 147ページ


三つの誘惑が人々を苦しめる。肉欲と傲慢心と富への執着とである。そこから人々の苦しみが生まれる。
ー 145ページ


人々は往々にして、自己の欲望を制する力よりも、欲望の力そのものを誇る。なんという奇怪な迷妄であろう。
ー 144ページ


思想は自由なように見えるけれども、人間のなかには、思想を支配することのできる、思想よりも強い何かがある。
ー 142ページ


習慣的な思想によって周囲に形成された雰囲気というものは、われわれひとりひとりにとって、いわばわれわれの住む家よりも根強い。
ー 141ページ


人々の幸福は、より多くの満足、より多くの物質的便宜の可能性が与えられることによって増大するものではない。結局、霊が己の住む肉体を創造するのだ。換言すれば、思想だけが己に適した住居を築き上げるのである。
ー 141ページ


何を考えなくてもいいかを知ることは、何を考えなければいけないかを知ることよりも、むしろ大事なくらいである。
ー 140ページ


真理のなかにあるときにのみ、人間は自由である。そして真理は理性によってのみ、啓示される。
ー 132ページ


愛は、自己犠牲を伴ってはじめて愛である。人が自分自身を忘れて、自分の愛する者の生命の中に生きたとき、はじめてその愛は真実の愛であり、そうした愛の中にのみ、われわれは幸福を認め、また愛の報酬を認めるものである。
ー 132ページ


人間は、他人に幸福を与える度合いに応じて自分の幸福を増大させる。
ー 131ページ


密かに善を行い、人に知られることを憚るがよい。そのときはじめて、君は善を行うことの喜びを知るであろう。人々に褒めそやされることなしに、自分は善き生活を行っているという意識そのものが、善き生活の最高の報酬である。
ー 130ページ


善が真に身についた場合、それは目立たぬものとなる。
ー 129ページ


死を思い出すということは、つまりは死を思わないで生きているということである。死を思い出すのではなくて、それが刻一刻近づきつつあることを常に意識しながら、静かに、悦びをもって生きなければならない。
ー 129ページ


死を忘れた生活と、刻々近づく死を意識した生活との間には―天と地の隔たりがある。
ー 123ページ


叡智が発現されえないような、そんな境遇や、そんな無意味な仕事はない。
ー 114ページ


人間の価値は、その所有する真理によって計られず、その真理を獲得するために注いだ心血の度合いによって計られる。
ー 113ページ


賢者はそれが自分にとって有利だから愛するのではなく、愛そのもののなかに幸福を見出すから愛するのである。
ー 99ページ


叡智の第一原則が自分自身を知ることにあるように、慈善の第一原則は少しのもので満足することである。そのように足ることを知った、平和を愛する人のみが、他人への慈善において強い力を発揮するであろう。
ー 98ページ


われわれはいろんなものを不完全なるがゆえに愛する。その不完全性は、努力を人生の法則たらしめ慈悲を人間の裁きの法則たらしむるために、定められたものである。
ー 98ページ


無知を恐れず、偽りの知識を恐れよ。真実でないものを真実と思うより、何も知らないほうがましである。 ー 96ページ

誰にとっても必要不可欠な知識というものがある。そうした知識を自分のものとしないかぎり、その他のいっさいの知識はかえって有害であろう。
ー 93ページ


もしある人が叡智を求めるならば、その人は賢人である。しかしそれを発見したと考えるならば、彼は愚人である。
ー 92ページ


生命に導く道は狭く、これに入る者は少ない。なぜ少ないかと言えば、大多数の者は、みんなが歩く広い道へ入るからである。本当の道は狭くて、一人ずつしか入れない。
ー 91ページ


人類がどこへ進むかは、人々には知ることができない。最高の叡智は、汝自身がどこへ進むべきかを知ることにある。それは汝の知るところであり、すなわち最高の自己完成に向かって進むべきである。
ー 91ページ


人々が互いに憎々しげに口論していると、子どもはどちらが正しくてどちらが悪いか分からないまま、心で双方を非難しながら憂わしげに二人のもとから走り去る。そしていつも二人のどちらよりも、その子どものほうが正しいのである。
ー 90ページ


どうしてわれわれは人を責めるのが好きで、こんなに意地悪く、こんなに理不尽に責めるのだろう?人を責めることで自分の責任を免れようと思うからである。われわれは自分に困るようなことがあると、これは自分が悪いからでなくて、人が悪いからと考えたがるのである。
ー 90ページ


過ちや手違いが起きても気を落とすな。自分の過ちを意識することほど勉強になることはない。それは自己教育の最大の方法の一つである。
ー 79ページ


真に必要な唯一の学問は-人間いかに生くべきについての学問である。そしてそれは万人の手に届く学問である。
ー 73ページ


学者とは-書物を読んでいろんなことを知っている人のことである。 教養人とは-その時代に最も普及した知識や風俗習慣をすっかり身につけた人のことである。 賢者とは-自分の人生の意味を理解している人のことである。
ー 72ページ


他人の叡智を受け入れるためには、何よりもまず自ら努力しなければならないのだ。
ー 71ページ


盲目的な信仰によって作り上げられた鉄のくびきの痕跡が、奴隷の目印としてわれわれの首に長く残りはしないかを私は恐れる。
ー 51ページ

高くなるに従い、ますますへりくだれ。自分に不必要なものに好奇心を持つな。今でも君には、君が理解しうる以上のものが示されているのだ。
ー 48ページ


謙虚さなしに自己完成は不可能である。
ー 48ページ


われわれもみな、時々まるで火花のように心の中にぱっと明るく燃えひろがる思想を、絶えず注意して逃さないようにしなければならない。われわれ一人一人にとっても、そうした内面的光明のほうが、きら星のごとき詩人や哲人の集団の観察や研究よりも、はるかに有意義である。
ー 45ページ


真に英雄的な行動や献身的な行動は、これを庶民のなかに求めざるを得ないのだ。
ー 40ページ


聡明で善良な人ほど、人々のなかに善を認めるものである。
ー 33ページ


人々が夢中になって騒ぐもの、それを手に入れるために躍起になって奔走するもの-そうしたものは、彼らになんらの幸福ももたらさない。心の平安は、いたずらなる欲望の充足によって生ずるものではなく、反対にそうした欲望の棄却によって生ずるものである。
ー 29ページ


世の中は、千人の人間が一緒に働けば、同じ千人がてんでばらばらに働く場合より、はるかに多くのものを生産できるようになっている。しかしながらそのことから、九百九十九人が一人の奴隷にならねばならないという結論は出て来ないはずだ。
ー 25ページ

知性の掟を知る者も、これを愛する者に劣る。これを愛する者も、これを実践する者に劣る。
ー 23ページ


われわれが探究の歩を進めれば進めるほど、あらゆる偉大な宗教の根本原理が一つであること、開闢以来今日まで連綿と続いてきた教えが一をもって貫かれていることが明らかになるであろう。
ー 21ページ


第二義的なもの、不必要なものを多く知るよりも、真に善きもの、必要なものを少し知るほうがよい。
ー 16ページ




文読む月日 (中) (ちくま書房)文読む月日 (中) (ちくま書房)
(2004/01/11)
トルストイ

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罪深い人間は人生において常に他の人々と結びついているけれども、彼が罪深ければ深いほど、心中孤独を感ずるものである。それに反して善良で聡明な人間は、人々の間にあってしばしば孤独を感ずるものであるが、その代わり、孤独裏にあっても絶えざる人類との合一を意識するものである。 ー 596ページ


人々には必要とされるけれど、自分は人々を必要としない者は幸福である。 ー 596ページ


一般大衆の無知蒙昧の原因をつくづく観察すれば、その主な原因はけっして、普通考えられているように学校や図書館の不足にあるのではなくて、大衆の迷信が自分たちにとって好都合な連中によって彼らに吹き込まれ、絶えずあらゆる暗示の手段で維持されているさまざまの迷信にあることがわかるであろう。 ー 547ページ


われわれに最も欠けているのは心の眼である。われわれは他人の悪を見るには凄く眼が利くけれども、われわれ自身の悪はいっこう見えない。 ー 545ページ


不必要で、空疎で、堪えがたくて、苛々させられて、人を妨げながら人の注意を惹くような労働がある。そのような労働は、無為よりずっと悪い。真の労働は、常に、静かで、整然としていて、目立たないものである。 ー 539ページ


必要な限度以上に知るよりも、可能な限度以下に知っておくほうがましである。知らないことを恐れるな。むしろ余計な知識、重荷になるような知識、虚栄のための知識を恐れるがよい。 ー 536ページ


盲人は、目が見えるようにならないかぎり闇がどんなものか想像できないように、われわれも学問の力によらなければ、自分自身の無知ぶりが想像できない。 ー 536ページ


最も重大で肝要な自由の発現は、自分の思想にいかなる方向を与えるかの洗濯のなかにある。 ー 513ページ


諸行無常の理を悟ったとき、汝は初めて常住不変のものを発見するであろう。 ー 507ページ


真理認識の最大の障害は、虚偽ではなくて似非真理である。 ー 488ページ


自分の思想には客のごとく応対し、自分の願望には子どものごとく応対せよ。 ー 484ページ


もし自分の境遇に不満な場合、われわれは二つのやり方でそれを変えることができる。一つは自分の生活条件を改善するというやり方、もう一つは自分の心の持ち方を改善するというやり方である。前者はいつも可能というわけにはゆかないが、後者はいつも可能である。 ー 484ページ


君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。 ー 483ページ


そのためには死んでもいいと思う何かを持たない人間は、不幸な人間である。 ー 478ページ


ソクラテスは言っている。「より善き人になること以外は何も望まない人々にとっては、どんな学問もやさしい。なぜならば、彼らはどんな学問の分野においても、万人に必要なものだけしか知ろうとしないからである」 ー 473ページ


知識は偉人を謙虚にし、常人を驚かし、小人をのぼせ上がらせる。 ー 472ページ


もし死が恐ろしいなら、その原因は死のなかにはなくて、われわれ自身のなかにある。生を理解しない人は、死を恐れざるをえない。聖者にとっては、もはや死は存在しない。 ー 460ページ


大多数の人々がそれに陥っているからといって、迷妄が迷妄でなくなることはない。 ー 458ページ


われわれが自分の生活を保証するためにいろいろやっていることは、ちょうどダチョウが、自分が殺されるのが分からないように頭を隠す仕草と、まったく同じことである。自分らの不確かな未来における不確かな生活を、不確かに守ろうとして、確実な現在における確実な生活を、確実に滅ぼしているのがわれわれであるから。 ー 458ページ


人々は、自分の生活の空しさを感ずるばかりに、あちこち駆けずりまわって満足を求める。しかしながら、自分たちを惹きつける新しい慰みの空しさに、まだ気づかないのである。 ー 457ページ


努力は幸福獲得の手段ではなくて、努力自体が幸福を与えるのである。 ー 452ページ


この世で尊いものはただ一つ、絶えず世間の虚偽や不正と衝突を繰り返しながらも、倦まず弛まず温柔であることである。 ー 421ページ


様々な欲望でわが身を囲めば囲むほど、君はますます奴隷状態に陥るようになる。なぜなら、君の欲望が大きくなればなるほど、君の自由は減少するからである。完全な自由は、何一つ欲しがらないことのなかにあるが、次善の自由は少ししか欲しないことである。 ー 400ページ


己れの欲情の奴隷は―最も賤しい奴隷である。 ー 400ページ


あらゆる新たな欲望は、新たな欠乏の始まりであり、新たな悲しみの端緒である。 ー 399ページ


われわれは、隣人に善を行うことによって、それと気づかぬまま、他人よりはるかに多く自分自身に善を行っているのである。善を行うこと、ただそれだけが幸福になる唯一の、確実な手段である。われわれの行うこと、経験することが真の幸福に近ければ近いほど、その幸福を他人と分かち合いたいという気持ちも、より自然なものとなる。 ー 399ページ


世俗的な智慧は、みんなが暮らすように暮らすことであり、真の智慧は、たとえそれがみんなに非難されても、理性にかなった暮らしをすることである。 ー 376ページ


人間は、自分の作りだすものだけが自分のものなのである。誰にしても、自分自身のなかにあるもの、自分のなかにあって自分が生きているかぎり成長するもの以外は、けっして不動の善と考えてはいけない。 ー 363ページ


己の内面的富に満足し、その生存のために外部から少ししか必要としないか、あるいは全然必要としない人は、誰よりも幸福な人である。 ー 362ページ


現在に対して敬虔であろう。 ー 361ページ


すべては思想にかかっている。思想はこれを制御することができる。それゆえ、肝腎なのは自己完成である。換言すれば、思想の涵養である。 ー 359ページ


みんなに認められている意見で、われわれがそれについて一度も真剣に考えたことがないばかりに、疑うべからざるものと思われているようなのがたくさんある。 ー 356ページ


真の徳行は、けっして自分の影、つまり名声を顧みるものではない。 ー 355ページ


世間の人々の意見ほど、間違った人生の指針というものはない。 ー 354ページ


「他人がするようにするがよい」。これはほとんどの場合、悪いことをするがよい、という意味になる。 ー 352ページ


あらゆる人が一部は自分の考えに従って、また一部は他人の考えに従って行動する。どれくらい自分の考えで、またどれくらい他人の考えで行動するかが、人間の大きな別れどころである。ある人々はほとんどの場合、自分の思想を玩具にし、弄ぶだけで、実際の行動では、習慣や伝統や法律に従うが、ある人々は、自分の思想を自分のすべての行動の重要な推進者と考え、自分の理性の要求に耳を傾けてその声に従い、ほんのときたまにだけ、それも充分検討したうえで、他人
が決めたことに従うのである。 ー 351ページ


世間にあっては世論に従って生き、独居して初めて自分の考えによって生きる、というのはたやすい。群衆のただなかにあって、独居のときと同じような温和さと独自性とを保持する人のみが、強者である。 ー 347ページ


ただ自分のことだけを考え、何事につけても自分の利益を求める人は、けっして幸福になりえない。自分のために生きようと思うならば、人のために生きるがよい。 ー 340ページ


生きることをわきまえる者は、死ぬことをもわきまえる。 ー 335ページ


煩悩の焔に身を焼く者、快楽を渇望する者は、絶えず自分の肉欲を募らせ、われとわが身を鉄鎖に繋ぐ。ただ心の平安のみに思いを潜め、わが心を深く省み、人々が幸福とせぬところに幸福を見出す人―そのような人はその死の鉄鎖を断ち切り、永遠にそれを棄て去るであろう。 ー 333ページ


自由は自由を探すことによってではなく、真理を探すことによって得られる。自由は目的ではなくて、単に結果であるにすぎない。 ー 333ページ


自由は、人間が人間に与えるものではない。誰しも自分で自分を自由にするほかはない。 ー 333ページ


『常に死を覚悟している者のみが自由である』~ディオゲネス~ ー 332ページ


自分の欲するとおりに生きてゆく人間だけが、自由な人間だと言うことができる。賢者はいつも自分の欲するとおりに生きる。なぜなら彼らは自分の手に入れることができるものだけを欲するからである。だからして、ただ賢者のみが自由である。 ー 331ページ


自分の人生において歩むべき道を深く考えた人、恐怖の念から道徳律に従うのではなくて、それが当然であるから道徳律を尊重し、これに従う人、自分自身の希望と判断以外、なんらの権威にも左右されない人―そんな人だけが自由に生きているのである。 ー 331ページ


自分に打ち克つことこそ、他人に打ち負かされないための最善の方法である。自分を抑えることこそ、自分を支配する主人を持たないための最善の方法である。 ー 331ページ


自分の過失を認めないことは、つまりはそれを増大させることである。 ー 315ページ


知識は得てもそれを活用しない者は、畑を耕しても種を播かない人のようなものである。 ー 313ページ


汝の孤独を出て、汝が学んだものを実行において示すがよい。なぜなら、今や汝にとっても人々にとっても、汝が読んだり思索したりした事柄がどんなに役に立つかを知るべき時が来たのであるから。 ー 313ページ


真の知識の道はただ一つ、人間いかに生くべきかを知ることのみが必要なのだ。 ー 312ページ


苦悩と悲哀によってのみわれわれは、書物で学びえない知性を獲得できるのである。 ー 307ページ


精神的な生活を送る者にとって、苦悩は常に自己完成と啓蒙と神への接近への刺激剤である。人間は、現在自分がいかなる段階にいるかにかかわりなく、とにかくなるべく早く無限の自己完成を目指して進むべきである。 ー 307ページ


徳行に対する報いは、己の徳行を意識すること自体のなかに存在する。 ー 305ページ


帝王から乞食に至るまで、およそ人間はみな自己完成を心がけねばならない。なぜなら、自己完成のみが万人に幸福を与えるからである。 ー 304ページ


人間にとっての功績は、ただその人の努力のみである。人間は努力することのなかにその真の姿を現すものである。 ー 301ページ


もしもわれわれが、現在われわれの置かれている立場を善きもの、聖なるものとすることができないならば、たとえどんな立場でも、そうすることはできないのである。 ー 300ページ


至極明瞭な観念が、しばしばややこしい理屈でくらまされることがある。 ー 274ページ


真に有益なもの、真に善きもの、したがって偉大なものは、常に単純である。真実の言葉は簡潔である。善きことはすべて、飾り気がなく目立たない。 ー 273ページ


死について思い煩うには及ばないが、常に死を見据えて生きなければならない。死を見据えた生活はすべて、厳粛で、意味深くて、真に実り多く喜ばしいものとなる。 ー 272ページ


私は、世間の長い耳の一方から入って一方から出てゆく数々の小賢しい議論、その心になんらの印象も与えることのない議論に思いを馳せるとき、しばしば、もうこれから一生黙って自分が正しいと思っていることをやり、何事についてもいっさい発言はしまいという気持ちを抑えきれなくなる。 ー 246ページ


汝の与えたものは―汝のものであるが、汝が握りしめていたものは―失われたものである。 ー 240ページ


ソクラテスは愚と賢とを両立しないものとしたが、無知を愚とは呼ばなかった。しかし自分自身を知らず、自分の知ってもいないことを知っているつもりでいることを、愚劣事と呼んだのである。 ー 233ページ


善良さを湛えていない眼差しに、なんの価値があろう?善良さこそ真の富である。普通の財産なら、善人も悪人も持っている。真実の道に立ち、心して善良であれ。 ー 231ページ


精神的に強力な人には外的な障害はなんらの害を及ぼさない。自分に与えられた精神力をもって障害を迎える人間の場合、あらゆる障害がその人に精神的な美しさ、精神的な力を与えるのである。 ー 209ページ


人生の尽きることなき精神的財産を獲得することは、真に人間の本性にふさわしいことである。これに反して外的・物的幸福に頼ることは、われわれを人々や偶然に対する奴隷的屈従に導くものである。 ー 208ページ


もし君が不幸を恐れるなら、君はすでに不幸なのである。不幸に値する人間は、しょっちゅうそれを恐れている。 ー 208ページ


競争心から何も美しいものは生まれず、高慢心から何も貴いものは生まれないことを忘れないがよい。 ー 197ページ


芸術とは、人々の心に秘められていたものが露わになり、ぼんやりしていたものがはっきりとなり、複雑だったものが簡単になり、偶然だったものが必然となるような、そうした人々の心への働きかけの謂である。真の芸術家はすべてを簡潔化する。 ー 196ページ


もし君が自分を自由でないと感ずるならば、その理由を己の内に求めるがよい。 ー 202ページ


内面的な自由なくしては、外面的自由にはなんらの価値もない。 ー 199ページ


自由な人間は、自分が何ら妨げられることなく支配できるもののみを支配する。ところが妨げられることなく支配できるものは、自分自身だけである。それゆえ、ある人が自分自身をでなくて他人を支配しようと望んでいるのを見たなら、その人は不自由な人だと知るがよい。その人は他人を支配しようという欲望の奴隷なのである。 ー 199ページ


真の生活は、外面的な大きな生活のなかにはなくて、ただほんのかすかな、目立たない変化のなかに、すなわち人々の意識の変革のなかに生ずるものである。 ー 165ページ


われわれが外面的な問題の解決など放っておいて、いかに自分自身の人生をよりよく生くべきか?というただ一つの、真に人間にとってふさわしい内面的な問題を自分に課するようにすれば、外面的な問題も、ことごとく最善の解決を得るであろう。 ー 165ページ


もし世界が汚らしく見え、人々が悪質で不愉快で、その行為が愚劣で醜悪に見えるなら、むしろそうした状態を利用して、急いで自分自身に注意を向けるようにするがよい。そうすれば君は、以前に見えなかった汚点を自分のなかに発見し、そのように自己の醜悪さを認めることによって自らを益するであろう。 ー 163ページ


けっして意気消沈してはいけない。果てしのない不幸などというものは、めったにありはしない。絶望は希望以上に人を欺くものである。 ー 163ページ


努力は喜ばしい生活によって報いられるばかりでなく、努力自体が人生最大の幸福をわれわれに与えるのである。 ー 157ページ


人にああ思われたいとか、こう思われたいとか考えて生きていってはならない。君自身がこれでいいと思うような生き方をしなければならない。善き人々の安住の場所は、彼らの良心であって、けっして人々の口の端ではない。 ー 150ページ


死は人々に、己の仕事を最終的に仕上げる術を教える。あらゆる仕事のなかで、常に充分な仕上げができる仕事というのは、報酬を求めることのない愛の仕事だけである。 ー 148ページ


死を想うことは人間に、今目の前にある事柄のなかから常に完全無欠な事柄を選ぶことを教える。そうした事柄こそ―最も必要な事柄なのだ。 ー 146ページ


われわれに奴隷的屈従を強いない義務のみが、真の義務であり、われわれの自由に協力する知識のみが真の知識である。その他のいっさいの義務は―新しい軛にすぎないし、その他のいっさいの知識は―きまぐれな思いつきにすぎない。 ー 128ページ


自らの立場に満足している奴隷は、二重の奴隷である。なぜなら彼の肉体が奴隷であるばかりでなく、精神もまた奴隷であるから。 ー 125ページ


苦しみが君を襲ったときはいつも、どうしてその苦しみから逃れようかと考えるよりも、君が道徳的により完全なものになるためにその苦しみが何を、どのような努力を君に要求しているか、を考えるがよい。 ー 122ページ


常に、これは私の良心と一致するだろうか?と自問するがよい。良心の要求に応ずるために雄々しくあれ、身を棄ててかかれ。人々の意見と食い違っても、けっして恐れるな。 ー 115ページ


一般社会悪を克服するには、ただ一つの方法がある。すなわち自分自身の生活の道徳的完成に精進することである。 ー 86ページ


労働を組織することによってわれわれは、単に労働の能率や生産性を高めるだけで、人類の福祉を達成することはできないことを忘れないがよい。人類の福祉はただ自主的・道徳的・宗教的な方途によってのみ達成されるのである。 ー 85ページ


大衆を奴隷化するものは大衆自身の無知なのである。 ー 84ページ


社会秩序の改善は、人々の道徳的完成によってのみ可能である。 ー 82ページ


善徳や精神力は、不幸や苦悩や病気のなかで、強化され完成されてゆく。それゆえ君たちは、わが身に降りかかる試練を恐れるべきでなく、毅然としてそれに堪えねばならない。不幸それは人生の試金石である。苦しみのなかに、汝の精神的成長にとっての意義を求めよ。そうすれば、苦しみもその苦みを失うであろう。 ー 75ページ


苦しみ―それは肉体的ならびに、精神的成長の必須条件である。 ー 73ページ


われわれはお金の入った財布を失えば惜しがるが、われわれの頭に浮かんだ、あるいは聞いたり読んだりしたよき思想―われわれが肝に銘じていて自分の人生に適用したなら、多いに益するところがあるであろう思想のほうは、忘れて見失ってしまい、巨万の富よりも尊いものを惜しがる術を、知らない始末である。 ー 72ページ


自分には厳しく、他人には寛大であれ。 ー 56ページ


人が幸福への道へ足を踏み入れる前に是非学ばなければならないもの、それは謙虚である。傲慢な人は、自分はすでに何もかも持っていると思っているため、何一つ獲得できない。 ー 55ページ


もし君が賢人としての生活を送らず、それゆえ自分が賢人の名に値しないことを思って自尊心の苦しみを味わうならば、そんなことにくよくよしないよう思い直すがいい。君が賢人としての評判を得ていないなら、それはむしろ結構なことである。もし君が現在、今すぐにも、君の良心の要求するとおりの生活を始めることができるなら、それで満足するがよい。 ー 54ページ


本来自分の理性によって選ぶべきものを、なんの見境もなく他者から受け取ることによって、人は結局判断力を失い、事実上自分自身も呪いに陥り、隣人たちをも罪に誘うのである。人々の救いは、もっぱら彼らが自ら思索する術を学ぶこと、自らの思想を正しい進路に向けることのなかにある。 ー 47ページ


忙しがってる連中がもったいぶって仕事と呼んでいる代物は、たいていの場合、しないほうがいいようなものである。 ー 8ページ


悪いことをするよりも、何もしないほうがよい。 ー 8ページ




文読む月日 下 (ちくま文庫)文読む月日 下 (ちくま文庫)
(2004/02/11)
トルストイ

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「私の家出は、お前を悲しませることだろう。私にも悲しいことです。ただ、私がこうするより仕方がなかったということを分かって下さい。私は、もはやこのような贅沢な境遇の中でこれ以上生きてゆくことはできないのです。人生は遊びではありません、そして人生を自分勝手に放棄する権利はわれわれにはありませんし、それを時間の長さで測ることもやはり不合理です。あるいは、われわれに生きるべく残された今後の数カ月は、過去に生きたすべての年月よりも重要であるかもしれません、だからこそ、それをよく生きる必要があるのです」 ー 516ページ


時間というものはない。あるのはただ、無限に小さな現在だけである。そしてその現在のなかで生活は行われているのである。それゆえわれわれは、その現在にのみ、精神力のすべてを傾注しなければならない。 ー 496ページ


時は最大の幻想である。最高の理性にとって時間はない。存在すべきものは、現に存在している。時間と空間―それは有限な存在者の利用に供するための、無限なるものの微分である。 ー 495ページ


「時は流れる!」われわれは普通そんなふうに言う。でも、もともと時間というものはない。われわれが動くのである。 ー 494ページ


過去はすでになく、未来はまだ到来していない。現在はすでにない過去と、まだ姿を見せない未来との無限の接点である。そこにおいてこそ、その時間のない一点においてこそ、人間の真の生活が行われるのである。 ー 493ページ


自ら精神的に成長し、人々の成長にも協力せよ。それが人生を生きることである。 ー 471ページ


調和のとれた成長は、自然のなかでと同様、人間のなかでも沈黙と静寂のなかで行われる。騒がしいものはすべて、破壊的で背徳的で粗野なものである。ただ孤独と静寂のなかにのみ、人間は力強い生命力、成長力を発見することができる。われわれはもっともっと静寂のなかに生きねばならない。そうすれば沈黙の声が、われわれを自由にしてくれる真理を伝えるであろう。 ー 470ページ


学問の使命は”いかにあるべきか”を知ることにあって、”いかにあるか”を知ることではない。 ー 468ページ


博学と叡智はめったに両立しない。真の賢者はそうたくさんのことは知らないが、彼の知っていることはみな自分にも人にも必要なことであり、また知っていると言ったら、確実に知っているのである。 ー 467ページ


われわれは何よりもまず人間であるべきで、その次に国民であるべきである。善に対するのと同じような尊敬の念を法律に対して懐くのは、好ましいことではない。法律は、けっして人々をより正しき者とはせず、むしろ反対に、法律を重んずる結果、善良な人々が不正の実行者となるのである。 ー 447ページ


人間は、その意識の最高の高みにおいては孤独である。その孤独は、ときには異様で馴染めなくて、辛く感ぜられることがある。そこで思慮の足りない人は、いろんな気晴らしの手段を講じて、孤独の意識の苦しさから逃避しようとして、たちまち意識の高みから低地に降りてしまう。ところが思慮深き人々は祈りによってその高みにとどまるのである。 ー 442ページ


たとえそれがわれわれに、運命の温かい手によって与えられようと冷たい手によって与えられようと、いずれにせよ人生の一瞬一瞬をできうるかぎり良きものとすること、これこそ生の芸術であり、理性的存在者の真の特権である。 ー 436ページ


幸福は、真の幸福は、善行それ自体である。 ー 435ページ


この世の中の生活を全般的に良くしようという事業に対する君の参加が、どんなに目立たぬ些細なものであっても、それは是非必要なことである。なぜなら多くの人々のそうした些細な目立たぬ努力からこそ、君の享受する幸福への運動のすべてが生ずるからである。それゆえ、たとえ誰一人見ていなくても、誰から督促されなくても、ごまかさないで真剣に引き綱を引くがよい。 ー 433ページ


大多数の人々が、考えるということをしないで生きている。大多数の人々が、生存競争のために力を使い果たして、考える時間というものがなく、単純に現在あるものをあるはずのものと取っている。なんらかの偉大な真理を擁護するために最初に声を上げた人々が、人々に迫害され、苦しめられ、緊衣を着せられ、イバラの冠を被せられるのもそのためである。 ー 433ページ


人間がそこにいれば、その人に善をなす機会もある。 ー 405ページ


人々は悪を非難し、悪を行う人を非難する。しかしそうした悪や悪を行う者への非難は、ただ悪を増大させるだけであるが、悪を無視し、ひたすら善に心を用いることによって悪は滅びるのである。 ー 402ページ


きわめて普通の、きわめて大きな不幸に導く誘惑の一つは、「みんながそうだもの」という言葉で言い表される誘惑である。 ー 397ページ


愛はその結果によって人に幸福を与えるのでなくて、愛そのものによって与えます。 ー 390ページ


人間が死ぬことも、お金や家や財産を失うことも別に悲しむべきことではない。それらはもともと人間に属しているものではない。人間が真の自分の財産、すなわち人間的尊厳を失うこと、これこそ悲しむべきことなのである。 ー 356ページ


人は、謙遜であればあるほど自由であり、強力である。 ー 325ページ


人間は、ありのままの人間でありたいと思うときは非常に強力であるが、人間より高くありたいと思うときは、すこぶる非力である。 ー 324ページ


良書を読めば善き感化を受ける。善き芸術に接しても、同様に善き感化を受ける。しかし最も強力に善き感化を与えるものは、善き生活の手本である。 ー 315ページ


けっして建てず、常に植えよ。なぜなら、建てる場合は自然が汝の労働の結果を破壊して邪魔立てをするであろうが、植える場合、自然は汝の植えたものをみんな成長させて手伝ってくれるであろう。精神の世界でも同じことである。それゆえ、人間が一時的に定めた規則や汝の願望にではなくて、人間本然の永遠の法則にかなうように行為するがよい。 ー 293ページ


投票数の多いことは、正義の尺度にはならない。 ー 292ページ


一人の人間が大勢の人々を支配する権利がないばかりでなく、大勢の人々が一人の人間を支配する権利もない。 ー 292ページ


われわれが過去に苦しみ、未来を損なっているのは、ひとえに現在をおろそかにしているからである。過去と未来―それは幻想であり、現在だけが唯一の実在なのだ。最も一般的な迷妄の一つは、現在を最も切実で決定的瞬間だとは思わないことである。その日その日が一年のうちでも一番良い日だということを、深く胆に銘ずるがよい。現在に対して注意深くあれ。われわれは現在のなかにのみ永遠を認識する。われわれが現在の瞬間にやっていること以外、何一つ大事なものはない。汝の今日が善であれば、それは永遠に善である。 ー 268ページ


人は学ばなければならない、たとえ教えが壁に書かれてあったとしても。 ー 260ページ


人は己に克つや否や、他を非難しなくなるものである。自らに対して厳しく、他者に対して寛大であれ。さすれば諸君は、敵を持つことがないであろう。 ー 224ページ


人々の賞讃が汝の行為の結果ではあっても、汝の行為の目的であってはいけない。 ー 149ページ


もし汝が世俗的通念や世俗的関心の源泉がどこにあるかを知ったら、汝は世人の賛同や賞讃を求めることをやめるであろう。 ー 148ページ


社会の一員としてのわれわれの最も重要で困難な義務は、社会生活を享受しながらもその束縛に屈しない術を学ぶことであり、常に他人の思想や信念のよきものを受け入れるに吝かではないが、同時に自分で判断するという神聖な権利は固く保持することであり、他人からの働きかけはそれなりに素直に受け止めても、結局は自分の霊の要求に従って行動することであり、他人と一緒に働く場合も、自分の良心に従うことであり、他人の意見と自分の決断とをうまく両立させることである。 ー 136ページ


恐るべからざるものを恐れ、真に恐るべきものの前に恐れおののかざる者は、邪見に従って滅亡への道を歩む、と言うべきである。 ー 135ページ


もし君が、人々が周囲でやっていることを模倣したい気になったら、是非立ち止まって、そうした一般の実例に従うことが理にかなったことかどうか、よく考えるがよい。個人的あるいは社会的な大きな犯罪ないし不幸は、もっぱら軽率に社会的暗示に従うことに由来するのだ。 ー 135ページ


順境に慣れてはいけない―それはたまゆらに過ぎ去る。持てる者は失うことを学び、幸福な者は苦しむことを学ぶがよい。 ー 133ページ


君は財布を失ったら大騒ぎをするのに、どうして自分の最良の富である心の善良さを失っても、その損失を感じないのか? ー 114ページ


何人も汝の意思を強制することはできない。意思には泥棒も追い剥ぎもない。不合理なものを望まず、大多数の人々のように自分一個の幸福を願うのではなくて、社会全体の人々の幸福を願うがよい。人生の使命は、多数者の側に立つことではなくて、汝が意識する内面的掟に従って生きることにある。 ー 112ページ


人間の真の力は激情のなかにはなく、破らるることなき平安のなかにある。いつもいつも平安であることは不可能であるが、平安のときがやって来たら、それを大切にして、なるべく長びかすようにしなければならない。そうした平安のときこそ、いろんな思想が、人生の水先案内である思想が生まれ、明瞭になり、そして強固になるときである。 ー 108ページ


もし君がもともと自分のものでないものに固執しようとするなら、君は必ずもともと君のものであるものをさえ失うであろう。 ー 106ページ


人に会うとき、相手が自分にどんなふうに役立つかを考えないで、自分がどんなふうに相手に奉仕できるかを考えるがよい。 ー 96ページ


何を見ているかも知らないで見ている人、どこに立っているかも知らないで立っている人は、災いなるかな。 ー 93ページ


人を知る者は智者であるが、自分自身を知る者は、真の賢者である。 ー 86ページ


自分の良心の要求に従って、自分の住んでいる世間の因習を棄て去る人間は、大いに自らに対して厳しく、注意深くなくてはならない。 ー 62ページ


本質的に諸君となんの関係もない因習に迎合すること―それが諸君の精力を消費し、諸君の時間を奪い、諸君の本来の素質を滅ぼしてしまう。そうした因習に陥っていたら、諸君は、諸君の最もすぐれた才能がくだらないことのために浪費されることはもとより、そもそも諸君自身一体そんな人間かということすら認識するのは困難であろう。そのような生活は、霊も身体も滅ぼしてしまう。 ー 61ページ


私は人々の考えによってでなく、自分の考えによって行動しなければならない。この原則は、実際的生活においても精神的生活においても等しく不可欠のものである。この原則を守ることは非常に困難である。なぜなら世間には、自分らのほうが諸君以上に諸君の義務を知っていると考える連中が跡を絶たないからである。世間にあっては、世間の意見に従って生きるほうが容易であるけれど、孤独な場合は、自分自身の意見に従うのは容易である。ただ群衆の中にあって自分の孤独時の独立自尊を守る人のみが偉大である。 ー 61ページ


自分の愚かさを知る者にはまだ智慧があるといえるけれど、自分は賢いとすっかり思い込んでいる者には、絶対に智慧は存在しない。愚者は、生涯賢人の傍らにあるも真理を知らず、匙が絶対に食物の味を知らざるがごとく。 ー 59ページ


自分の人間的尊厳性を意識することは、けっして高慢ではない。高慢心は世俗的成功に正比例して増大するが、人間的尊厳性の意識は、むしろ反対に、世俗に冷遇されればされるほど増大する。高慢な人間は自分自身をではなくて、自分についての人々の意見を尊重するが、自分の人間的尊厳性を意識する人は、自分自身のみを尊重し、人々の意見を歯牙にかけない。 ー 59ページ


大多数の人が、真に尊重すべきものを誇りの種にせず、むしろ不必要なもの、有害なものを自慢の種とする。権力や富がそれである。 ー 58ページ


善事は常に努力によってなされる。しかしながらその努力が幾度か繰り返されるうちには、その善事は習慣となってしまう。君に善をなすことを教え馴らしてくれるものは、みんな大事にするがよい。君に悪事をやめるように教え馴らしてくれるものは、もっと大事にするがよい。 ー 20ページ


愛するということは、自分の愛する相手の生を生きることである。 ー 16ページ


盗人が盗みえず、権力者が犯しえず、死後もちゃんと残って、けっして減りもせず、腐れもしない富を蓄えるようにするがよい。その富とは―汝の霊である。 ー 15ページ


少ししか持たない者が貧しいのではなく、多くを望む者が貧しいのである。 ー 14ページ


一生涯その日その日を懸命に生きよ。 ー 12ページ


すべてのことを試みて善きものを守れ。 ー 9ページ


真の賢者は無識を恐れず、懐疑を恐れず、労苦も探究も恐れない。彼が恐れるのはただ一つ、自分の知らないことを知っていると思うことである。自分の知識がいかに微小かを意識するようになるには、人は大いに学ばなければならない。 ー 8ページ

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